「“強制献金”捏造訴訟」

1996年末に、幸福の科学の元職員X氏が、“2億数千万円の献金を脅し取られた”と称して、突然、幸福の科学側をまったく虚偽の内容で訴えてきました。

X氏は、この年の春ごろに、代理人となったY弁護士を通じて、幸福の科学を退職すること等について文書で交渉を持ちかけて来ていましたが、退職するかどうかは本人の意思ですから、本来弁護士を通じた交渉が必要な話ではなく、すぐに対応は終わっていました(その後11月になって、Y弁護士名で退会通知を送付してきました)。しかも、その文書交渉の際も、退会通知の送付の際にも、特に何らかの金銭問題がX氏側から伝えられることはなく、他に何か問題がある状況とは考えられませんでした。

ところが、X氏は、その文書交渉から半年以上も経過した1996年12月末、突然、幸福の科学とその幹部職員を訴えると同時に、Y弁護士とともに、反社会的活動をしている他の誤った宗教と幸福の科学を全く同一視する内容で、大々的に記者会見まで行なって、全国にこの捏造の提訴内容を報道させたのでした。

当然のことながら、この訴訟は、1999年5月の東京地裁判決東京地裁平成11年5月25日判決)で、幸福の科学側が勝訴しました。

X氏は控訴しましたが、2000年1月の東京高裁判決でも、「その自由な意思を制約されて本件各献金行為をしたものと認めることは到底できず」と、X氏の献金が“脅し取られた”ようなものではなかったことを明確に認定し、幸福の科学の完全な勝訴となりました東京高裁平成12年1月20日判決

その際、東京高裁は、契約書や領収書、銀行振込票、X氏自身が当時作成していた多数の文書等の客観的証拠に照らすことで、X氏側の単なる作文とも言える陳述書にいくらかの正当性があるかのような認定をしていた東京地裁の認定の誤り部分も全てただし、X氏の一方的な陳述書は証拠から削除されました。

上告もなくこの判決は確定したことで、この「“強制献金”捏造訴訟」は、まったく何の根拠もない捏造訴訟であったことが明らかになったのでした。

「”強制献金”捏造訴訟」への反訴

このX氏について、代理人のY弁護士は、退職に際する交渉段階や退会通知段階で、金銭問題について一言も触れることがありませんでしたし、突如の提訴に際しても、本来なされるべき簡単な事前調査さえ怠って、すでに利息付きで返済済みの貸付金につき“騙し取られた”と称して訴え、さらには幸福の科学の教義や活動原理を全く把握しないまま、自らの社会的影響力を利用して、反社会的活動をしている他の誤った宗教と同一視する内容の記者会見まで開いて、全国に虚偽内容を大々的に報道させたのでした。

この虚偽報道によって、幸福の科学とその全国の会員(信者)は、極めて甚大な被害を被ることになりましたので、この杜撰な弁護士業務を強く問題視した幸福の科学は、X氏とともに、虚偽内容の記者会見の責任者であるY弁護士をも被告として、合計で8億円の損害賠償を求める反訴を提起しました。この反訴は、「Y訴訟」とも呼ばれています。

この幸福の科学側の「Y訴訟」の提訴に対して、今度はY弁護士が、自らのみのために300名以上の大弁護団を編成した上で(この大弁護団はX氏にはつきませんでした)、“幸福の科学の「Y訴訟」の提起が弁護士業務への妨害だ”とする800万円の損害賠償訴訟をさらに反訴提起して、これを「Y訴訟」に併合してきました。

残念なことに、東京地裁は、2001年6月、幸福の科学側の「Y訴訟」の請求を棄却するとともに、この訴訟の損害賠償請求額が、名誉毀損訴訟としては1997年の時点でかなりの巨額であったことをとらえて、これが“批判的言論を威嚇する目的で違法だ”などというY弁護士側の反訴の訴えの一部を認める判断をしました。この判断は、東京高裁でも最高裁でも覆りませんでした。

これは全くの誤判と言うほかないものと考えられます。

「Y訴訟」の本質

そもそも、この「Y訴訟」を幸福の科学が提訴せざるを得なくなったのは、先に述べたとおり、「“強制献金”捏造訴訟」がまったく虚偽内容の不当訴訟だったこと、しかもそれが献金という宗教活動の根幹に関わる重大な虚偽であったこと、その記者会見の内容が不意打ちであるにとどまらず甚だしい虚偽に満ちており、そのような提訴記者会見が正当な弁護士業務とは思われなかったのが原因であったことが、見逃されてはなりません。

つまり、この「Y訴訟」の本来の性質は、「“強制献金”捏造訴訟」という不当訴訟への反訴だったにもかかわらず、両者があたかも別の訴訟のように審理されてしまったことで、その本質が見失われてしまったと言えます。

さらに、幸福の科学のような大きな教団には、多数の会員が関係しているため、教団に対する名誉毀損行為は、これら多数の会員の信仰心を深く傷つける被害を全国で広範に発生させます。これは、宗教団体に関する名誉毀損訴訟においては、最初に認識されるべき重要事実ですが、裁判所は、会員と教団は別の存在だとして、この会員の被害のひどさをまったく考慮の外に置いてしまいました。この姿勢は、宗教とその会員との密接不可分の関係という、信仰の根本に関わる特質を何も理解しないものでした。

また、これまでの幸福の科学の訴訟の歴史をみれば判明するように(→「希望の革命」、幸福の科学が裁判にまで訴えた事案は、単なる“批判的言論”にとどまらない極めて悪質な捏造・誹謗中傷に限られています。そして本件も、まさにそのような事案だったわけですから、裁判所の判断は、この事案のひどさという本質的部分について、300名以上の大弁護団と、弁護士業務の逸脱の当否が問題となった特殊事情に惑わされてしまったのではないかと思えます。

「言論の自由」は本来、公権力からの自由であり、個人や団体に対する自由ではありません。高額提訴が言論の自由を抑圧するという主張が誤解であるのは、言論の自由大国のアメリカで、名誉毀損にしばしば億単位の賠償額の判決が出ることで明白です。

近時、株主代表訴訟で取締役個人に対する数百億円の損害賠償命令が出され、さらには、名誉毀損報道に基づく損害賠償訴訟の認容額が低額すぎることへの反省から、1500万円にも及ぶ損害賠償額が認容される事例も出るなど、目に見えないものに対する被害の認容額はかなり上がってきている中、改めて本判決が、憲法判断としても、国民の「裁判を受ける権利」を端的に制限する結果となることは、特に注意されるべきでしょう。

(了)