希望の革命

その他の訴訟

「週刊現代訴訟」
(宗教施設建立にかかわる誹謗中傷記事の名誉毀損)

「“強制献金”捏造訴訟」

「週刊新潮訴訟」

「週刊文春訴訟」

リンク集

 

「希望の革命」と「精神的公害訴訟」

講談社フライデー事件
 1991年9月2日午前、幸福の科学の会員(信者)有志数百名が、写真週刊誌「フライデー」を発行するマスコミの本社を訪問してその記事の訂正などを申し入れるという事件が起きました。この動きを聞き知った全国の会員がこれに呼応して、この一部マスコミに対して真摯な抗議の声をあげました。
 この驚きを、抗議を受けたマスコミが“業務妨害だ”などと宣伝したことが、全国の新聞やテレビ、週刊誌などで連日センセーショナルに報道されたため、この出来事はそれからしばらく日本中の話題を独占する事件となりました。
 世に言う「講談社フライデー事件」です。そして、言論による戦いである「希望の革命」が始まったのでした。

事件の背景
 このマスコミはこの年の5月ころから、「フライデー」を始めとする幾つかの雑誌を用いて幸福の科学を誹謗中傷する悪質な記事を出し続けていました。8月に入ってからは、大川隆法総裁(当時は「主宰」)がノイローゼで精神分裂の病歴があるかのような捏造(でっち上げ)記事を皮切りとして、捏造を中心に大川総裁と幸福の科学を傷つける“反幸福の科学キャンペーン”記事を、毎週毎週出し始めていたのです。最終的に、半年間で34本にものぼった記事の量も異常でしたが、その内容も幸福の科学を貶(おと)しめるのが目的であるのはハッキリしていました。
 誹謗の見出しは毎週のように新聞広告となって世間に垂れ流され続け、幸福の科学と大川総裁に対する誤解が世の中に爆発的に広まりました。会員の間にも、これらの記事が原因で幸福の科学のことを誤解され、家族関係が壊れたり職場を追われたりといった様々な被害が生じ始めていました。
 幸福の科学は何度も文書で抗議をしていましたが、これらを黙殺した上でようやく8月31日に届いたこのマスコミからの公式回答は、何ら記事を訂正する気持ちはない、キャンペーンはこれからも続けるというものでした。
 この挑戦的な回答姿勢があっという間に全国の会員に広がり、それをきっかけにそれまで押さえに押さえていた抗議のエネルギーが堰を切って流れだしたのが、9月2日から始まった抗議行動だったのです。

「希望の革命」
 この「フライデー」を発行するマスコミは、正邪を分かつ価値基準を持たないまま「言論の暴力」で世に害毒を垂れ流し続けている戦後の誤ったマスコミの典型であり、一つの象徴でした。このマスコミに対して正面から堂々と抗議し反省を促した会員たちの活動は宗教の復権へ向けて、日本の全国民に、宗教の時代の到来と信仰の優位を告げ知らせました。正義とは何かを世に知らしめ、この日本を信仰の価値を認め仏神の理想を心底語れる国にするための戦い、日本人の意識を変えるための精神革命(「希望の革命」)が始まったのでした。
 江戸時代末期に日本を開国に導いたのは、アメリカからやって来たペリーの黒船でした。黒船が浦賀沖で打った数発の空砲が、太平の世の眠りを貪っていた日本をあっという間に目覚めさせ、鎖国という時代の潮流を変えてしまったように、「講談社フライデー事件」が誤った日本のマスコミを変え、社会を変え、時代の潮流を変える「第二の黒船」であったことは、後世さらに明らかになっていくでしょう。
 主を汚し、信仰を汚す罪を信仰者は断じて許してはなりません。この会員たちの勇気ある行動を支えたのは、「私憤」(私的な怒り)ではなく「公憤」(公の怒り)でした。これは社会変革のための「聖なる怒り」であったのです。

「精神的公害訴訟」
 抗議開始後すぐさま、会員有志によって「講談社フライデー全国被害者の会」が結成され、会長に故・景山民夫さん、副会長に小川知子さんが就任して連日全国で抗議のデモ行進や署名活動を繰り広げ、大きな成果をあげました。
 そして、この「希望の革命」のエネルギーは、9月25日に東京で707名の会員による提訴を皮切りに、次々に全国で三千名近くの会員が結集し、全国7か所の裁判所で繰り広げられることになった「精神的公害訴訟」の戦いに引き継がれたのです。
 この裁判は、悪質な記事を出し続け信仰者である会員一人一人の信仰心そのものを傷つけ続けたマスコミ関係者に対して、会員から損害賠償を求める形で提起されたものです。「宗教上の人格権(宗教的人格権)」という新しい権利を提唱し、仏の子たる人間にとって最も大切な権利である「信仰」の権利を法律の世界でも堂々と語れるようにしよう、「言論の自由」の濫用で信仰が抑圧され弾圧されないようにしようとする裁判でした。
 この信仰者にとってはごく当然のことも、法律の世界では決して当然ではありません。裁判の世界・法律の世界では、一般社会における以上に宗教や信仰に対する偏見が蔓延しています。その偏見と戦い、信仰の優位を高らかに宣言しようとする、まさに宗教の時代が要請し、出るべくして出てきた裁判史上前例のない「先進(アドバンスト)裁判」が、この「精神的公害訴訟」であったのです。
→ 講談社フライデー全国被害者の会編『宗教の反撃』
 その他、幸福の科学本体も、次々に複数の裁判を起こし、このマスコミ関係者の誤りをただす戦いを繰り広げました。

 

裁判の成果

「精神的公害訴訟」判決
 1993年から1994年にかけて、7つの裁判所のうち、東京訴訟の控訴審(東京高裁)を除くすべての裁判所で判決が出されました。いずれも敗訴ではありましたが、大阪地裁や福岡地裁は、抽象的に「宗教上の人格権」を認めました。
 例えば大阪地裁は、「宗教上の人格権」を「平穏な信仰生活を営む社会生活上・私生活上の人格的利益」として捉えましたし大阪地裁平成5年2月26日判決、福岡地裁は、「宗教上の人格権」の内容を「原告ら主張の内容の右宗教上の人格権は、静穏な宗教的環境の下で信仰生活を送る利益ととらえることができる」として、その保護の可能性を真正面から検討しました福岡地裁平成5年3月23日判決
 少なくともこの2つの判示は、信仰というものの大切さを念頭に置いて「宗教上の人格権」という新しい人権を真正面から捉え真剣に検討したその姿勢において、自衛官合祀訴訟事件下級審判決以来の画期的なものでした。
 また、福岡高裁は、原告団の主張する被害が間接的被害だとして、結果的には「宗教上の人格権」を否定したものの、宗教の重要性に配慮しつつ宗教報道の基準を明確に打ち出した点で、信仰とマスコミ報道を巡る司法判断において、注目すべき判断を示しています福岡高裁平成6年9月16日判決
(→ 福岡高裁における会員代表の本人尋問の様子をそのまま再現し、その宗教的意味まで明らかにしたのが、講談社フライデー全国被害者の会編『マンガ 希望の革命』
 そして、オウム事件による宗教全般に対する逆風の中でしたが、1995年10月30日、東京高裁において、ついに幸福の科学側の一部勝訴判決となりました東京高裁平成7年10月30日判決
 「精神的公害訴訟」自体は、その後、マスコミ側に上告され1999年まで続きましたが、3月25日の最高裁判決で、この東京高裁判決の勝訴が確定しました最高裁平成11年3月25日第一小法廷判決
(→ 「精神的公害訴訟」の10年間におよぶ戦いで、幸福の科学側が主張した法的な内容の詳細は、幸福の科学広報局編『マンガ 宗教的人格権裁判』 と同『言論の自由対信教の自由』にまとめられています。)

週間現代に対する裁判
 「週刊現代」に対しては、幸福の科学本体から2つの記事に対する2つの名誉毀損訴訟が提起され、併合されて一つの訴訟として進行しました。
 1996年4月、23回の口頭弁論を重ね、6回もの言い渡し延期を重ねたあげく、ようやく言い渡された東京地裁判決は、幸福の科学全面敗訴でした。控訴審の東京高裁でも、やはり敗訴判決となりました。
 幸福の科学は、これを最高裁に上告。最高裁第二小法廷における1999年6月の口頭弁論を経て、同年7月9日に言い渡された最高裁判決は、東京高裁判決を全面的に破棄差し戻しするという、幸福の科学逆転勝利の判決でした最高裁平成11年7月9日第二小法廷判決。この最高裁判決は、マスコミ側の立証が、取材先はもちろん取材者も匿名としたものであることを指摘し、そのような立証活動で記事内容の真実性を信じたことが相当とは認められないとして、審理を東京高裁に差し戻したものでした。
 差戻審である東京高裁では、さらに1年余りの審理を重ね、2000年10月25日、ようやく幸福の科学の逆転勝訴判決が出されました東京高裁平成12年10月25日判決。この東京高裁判決は、マスコミ側が初めて氏名を明らかにした取材記者ら2名を証人尋問した結果として、その供述に種々の疑問があることを細かく指摘した末に、マスコミ側の名誉毀損責任を認めたもので、週刊誌メディアの取材活動の根本的見直しを迫る画期的な内容となりました。
 マスコミ側が再度上告しましたが、最高裁の上告棄却決定により、幸福の科学勝訴が確定したのは、提訴からほぼ10年を経た2001年6月12日のことでした最高裁平成13年6月12日第三小法廷決定

フライデーに対する裁判
 これとは別に、幸福の科学本体から週刊「フライデー」に対する訴訟も、1997年4月、東京地裁で敗訴でしたが、幸福の科学は即時控訴し、1998年11月16日に言い渡された東京高裁判決は、幸福の科学の逆転勝訴判決となりました東京高裁平成10年11月16日判決。この判決は、マスコミ側の上告もなく確定しました。
 東京高裁は、マスコミ側が、幸福の科学と対立関係にあったから直接取材できなかったとしたことについて、「激しい対立関係が既に生じている相手方に関する記事を書くには一層の慎重さが要求されるのであり、そうでなければ無責任な単なる意趣返しの記事に終わる危険がある」と指摘した上で、「フライデー」の記事は、幸福の科学に対して重大な契約違反を犯したことで契約解除されるという紛議関係にあった対立当事者1名の話のみを基にして作られたことを指摘し、ほかには事情を十分に知らない数名から取材しただけで、幸福の科学への直接取材もせずに記事としたのは「あまりにも軽率」と認定して、明確に取材の杜撰さを認めました。

中心的ライターや宗教学者等への裁判
 週刊「フライデー」の誹謗中傷キャンペーン記事の中心的ライターが、「フライデー」に連載した多数の署名記事を中心に編集し、別の書籍として刊行したことに対し、幸福の科学は別に裁判を提起していましたが、1996年10月に言い渡された東京地裁判決は、幸福の科学が勝訴しました東京地裁平成8年10月4日判決。この判決もまた、控訴もなく確定しました。
 また、1991年の一連の捏造誹謗中傷キャンペーンの理論的支柱となっていた宗教学者が、誹謗中傷キャンペーン記事とまったく同趣旨の記事を、別の雑誌に発表したことに対して、幸福の科学は裁判を提起していましたが、これに対しては、裁判所の強い和解勧告によって、1996年11月、宗教学者が幸福の科学に謝罪する内容で和解が成立し、終結しています東京地裁平成8年11月20日和解調書

 

「希望の革命」の成果

 この一連の「希望の革命」の戦いによって、マスコミの宗教報道は確実に変化してきました。宗教を“叩いておけばよい”という安易な姿勢から、多くの人の大切な部分に係わるのだから慎重に扱おうという風潮が出てきています。裁判所も確実に変化し、宗教の中にも違いがあることを理解せんという姿勢が見えてきたと言うことができます。
 また、この「希望の革命」は、参加した人びと一人一人の魂にとっても大きな意義があるものでした。参加者は、抗議活動と裁判を通じて信仰の絆を確認し、真の三宝帰依を体得して確固たる信仰心を打ち立て、「強き愛の実践者」へと成長することができました。
 そして幸福の科学は、真理の学習団体から「真の信仰団体」へと、大きく成長したのでした。

(了)

 
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