最高裁平成11年7月9日第二小法廷判決
◇ 最高裁平成11年7月9日第二小法廷判決 平成10年(オ)第1146号損害賠償請求上告事件
判 決
東京都杉並区本天沼三丁目一番一号
上告人 宗教法人幸福の科学
右代表者代表役員 大川隆法
右訴訟代理人弁護士 佐藤悠人 松井妙子 野間自子
東京都文京区音羽二丁目一二番二一号
被上告人 株式会社講談社
右代表者代表取締役 野間佐和子
同所 株式会社講談社内
被上告人 森岩 弘
右両名訴訟代理人弁護士 河上和雄 的場徹 山崎恵 成田茂
右当事者間の東京高等裁判所平成八年(ネ)第二三〇二号損害賠償等請求事件について、同裁判所が平成一〇年二月一九日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主 文
原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理 由
上告代理人佐藤悠人、同松井妙子、同野間自子の上告理由について
一 本件は、被上告会社の発行する週刊誌「週刊現代」に掲載された記事のうち次の部分が宗教法人である上告人の名誉・信用を毀損するものであるとして、上告人が被上告会社及び右週刊誌の編集長であった被上告人森岩に対し謝罪広告及び損害賠償を請求するものである。
1 「週刊現代」平成三年七月六日号(同年六月二四日発行)に掲載された「内幕摘出リポート『3000億円集金』をブチあげた大川隆法の“大野望”」と題する四頁にわたる記事には、次のとおりの本件第一記事部分が含まれている(上告人はこの記事のうち本件第二記事部分についても不法行為の成立を主張していたが、上告理由は本件第二記事部分を対象としていないので、ここではその引用を省略する。)。
「私は入会して3年になりますが、宗教法人として認可(今年3月7日)されてから、おカネの動きが激しくなりました。この前、(東京・千代田区)紀尾井町ビルの本部で、ちょうどみかん箱くらいの段ボールが数個、運び込まれているところに居合わせたんです。経理の人に『あれはコレですか』って現金のサインを指でつくったら、その人は口に指を当てて“シー”というポーズをした後、『そうだよ。でも、他の人にいってはダメだよ』といいました」
なお、本件第一記事部分の直後には、次の記載がある。
いま話題の新興宗教「幸福の科学」(大川隆法主宰)の中堅会員は声をひそめて語った。
2 「週刊現代」同年九月二八日号(同月一六日発行)に掲載された「続出する『幸福の科学』離反者、内部告発者の叫び」と題する四頁にわたる記事には、次のとおりの本件第三記事部分が含まれている(上告人はこの記事のうち本件第四記事部分についても不法行為の成立を主張していたが、上告理由は本件第四記事部分を対象としていないので、ここではその引用を省略する。)。
草創期から携わっていた元役員は次のようにいう。
「もともと大川氏は口数も少なく、大人しいタイプでした。会員をはじめ、役員たちとあまり話をすることもありません。教団の運営は、ごく限られた“腹心”たちと決めていました。会員の動向は、その腹心たちから毎日上がってくる『業務報告』で把握していました。ただこの報告が問題。ここで悪くいわれた人は、すぐ教団を追い出されました。みんな、この報告のことを陰でゲシュタポ・レポートと呼んでいました」
右文中の「大川氏」は、上告人の代表役員である大川隆法主宰を指すものである。
二 原審は、本件第一記事部分及び本件第三記事部分による不法行為の成否について、おおよそ次のように判示して、上告人の請求を棄却した第一審判決に対する上告人の控訴を棄却した。
1 本件第一記事部分について
(一) 本件第一記事部分は、上告人が巨額の資金集めに奔走しているかのような印象を与え、上告人の社会的評価を低下させた。
(二) 摘示された事実は公共の利害に関する事実であると認められ、その掲載は公益を図る目的に出たものと認められる。
(三) 本件第一記事部分の主要部分は、上告人が「ミラクル献金三〇〇〇億円」構想を打ち出し、それまでと比べて際立って積極的な集金活動を行ったという事実であり、これについては真実であることの証明がある。
(四) 段ボール箱で上告人本部に現金が搬入されたという部分については、それが真実に合致するものであるとは認められないが、被上告人らにおいてそれが真実であると信ずるにつき相当な理由があったと認めるのが相当である。
(五) したがって、本件第一記事部分の掲載は、違法性を欠くか、又は故意・過失を欠く。
2 本件第三記事部分について
(一) 本件第三記事部分は、「ゲシュタポ・レポート」という否定的イメージを持つ比ゆ的表現を用いて、上告人の草創期に行われていた内部統制の様子を記述したものであり、上告人の社会的評価を低下させた。
(二) 摘示された事実は公共の利害に関する事実であると認められ、その掲載は公益を図る目的に出たものと認められる。
(三) 大川主宰が教団草創期に「活動推進委員報告」などの形式で腹心から報告を受けていたことには、真実であることの証明がある。
(四) この報告か基で実質的に辞めざるを得なくなった会員かいたことや、この報告書が陰で「ゲシュタポ・レポート」と呼ばれていたことについては、これが真実であるとまで認めるに足りる証拠はないが、被上告人らにより相当な取材が行われており、被上告人らがそれを真実であると信ずるにつき相当な理由があったと認めるのが相当である。
(五) したがって、本件第三記事部分の掲載は、違法性を欠くか、又は故意・過失を欠く。
三 しかしながら、原審の右判断のうち、真実であることが証明されなかった記事部分について被上告人らがそれを真実であると信ずるにつき相当な理由があったとする点は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 原審が本件第一記事部分について被上告人らがそれを真実であると信ずるにつき相当な理由があったという判断の根拠として認定した事実は、次のとおりである。
(一) 「週刊現代」の編集者である秋元直樹の証言によれば、「週刊現代」編集部の記者某が、平成三年六月一九日、上告人の正会員であり本部職員である某から直接取材をしたところ、同人は、自ら直接体験したこととして、上告人本部への段ボール箱搬入を目撃したこと、経理の人から右段ボール箱に現金が入っている旨を聞いたことなど、本件第一記事部分の記述に沿う話をしたことが認められる。
(二) 秋元の証言によれば、秋元編集者は、同日、取材記者を同行して上告人の広報課に赴き、広報担当者に対し、献金がどういう方法で本部に集まってきているのか等を質問したが、同担当者は「広報課としては分からない」旨返答したこと、ただし、秋元編集者らは、上告人の本部における段ボール箱による現金搬入の事実の有無については尋ねなかったことが認められる。
(三) 被上告人森岩本人尋問の結果及び同被上告人作成の陳述書によれば、同被上告人が、同日夜、右(一)の取材源とは別の取材源から本件第一記事部分の裏取り取材をするよう編集次長某に指示し、翌日の夕方には同編集次長から裏取りができた旨の報告を受けたことが認められる。
2 原審が本件第三記事部分について被上告人らがそれを真実であると信ずるにつき相当な理由があったという判断の根拠として認定した事実は、次のとおりである。
(一) 秋元の証言によれば、秋元編集者及び記者某が、平成三年九月八日、上告人に草創期から携わり役員の経験もある某に直接面会し、既に入手していた上告人草創期の「活動推進委員報告」を示して取材したところ、同人は、大川主宰が幹部から上がってくる業務報告によって個々の会員の言動、動向を把握していたこと、「活動推進委員報告」は右業務報告の一種であり、「ゲシュタポ・レポート」と陰で呼ばれていたこと、業務報告で悪く言われたことが基で結局会員を辞めることになった人がいることなどを述べたことが認められる。
(二) 秋元及び証人高橋守の各証言によれば、秋元編集者が、同月一〇日ころ、上告人草創期に活動推進委員を務めた経験のある高橋守に直接会い、右「活動推進委員報告」を示して取材したところ、同人は、同報告書が「ゲシュタポ・レポート」と呼ばれていたとは知らなかったとする以外は、右(一)の話を裏付ける話をしたことが認められる。
(三) 秋元の証言によれば、「週刊現代」の記者某が、同日ころ、上告人の正会員某ら三名に面接取材し、報告書が陰で「ゲシュタポ・レポート」と呼ばれていたことを含めて、右(一)の話を裏付ける供述を得たことが認められる。
(四) 秋元の証言等によれば、上告人に対する取材は、同年八月末ころから取材が事実上拒否されていたために行われなかったことが認められる。
3 しかしながら、本件第一記事部分に関する前記1(一)及び(三)の各事実並びに本件第三記事部分に関する前記2(一)及び(三)の各事実は、取材の相手方だけではなく、取材に当たった者の特定もされていない、その意味では抽象的な内容のものであって、このような事実をもって、被上告人らが本件第一記事部分及び本件第三記事部分の内容が真実であると信ずるにつき相当な理由があったと認めるのは相当ではない。したがって、この点に関する原審の判断は、是認することができない。
四 右によれば、本件第一記事部分及び本件第三記事部分による不法行為の成否について、前記各事実によって被上告人らにおいてその事実を真実と信ずるについて相当な理由があったとした原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法がある。右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。そして、本件において右の相当な理由を根拠づける事情の有無等について更に審理を尽くさせるため、その余の上告理由に対する判断を省略して、本件を原審に差し戻すこととする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
最高裁判所第二小法廷
裁判長裁判官 福田 博
裁判官 河合伸一
裁判官 北川弘治
裁判官 亀山継夫
(平成一〇年(オ)第一一四六号 上告人 宗教法人幸福の科学)
上告代理人佐藤悠人、同松井妙子、同野間自子の上告理由
一 「匿名伝聞証言での真実性の認定の可否」について
1 「匿名伝聞証言での真実性の認定の可否」の問題について原審判決は、本件第一記事部分(本書面別紙)のみに関して、「(i)秋元直樹証言の内容自体からその信用性に疑わしいところがあるとは解されないし、(ii)本件では取材源を匿名にすることについて正当な理由がある」から許容する旨判断した(原審判決二二頁以下)。
2 しかしながら、これでは全く理由を付したことにはならない。
(一) 上告人は原審においては、本件第一記事部分だけでなく、本件第三記事部分(本書面別紙)に関しても、秋元直樹証言は重要部分が「匿名」で「伝聞」の証言だから、それを中心に認定するのは法理論的にも判例上も許されない旨主張していたのであって、これは原審の最重要争点だったはずである(控訴人準備書面(一)第二の三、一九九六年一二月一七日付け被控訴人準備書面第二の一4、控訴人準備書面(二)第二の三、一九九七年五月一三日付け被控訴人準備書面、控訴人準備書面(三)一及び二)。
したがって、原審判決はまずもって、本件第三記事部分に関しても上告人が問題にしていたことを全く見落としており、本件第三記事部分に関する判断を全く脱漏している。しかも、本件第三記事部分に関する“被上告人らのいう情報源”の実在性の欠如の指摘(週刊現代平成三年一〇月一二日号にも登場していないこと等、控訴人準備書面(二)第二の二2(四)・六〇頁)についても全く判断していない。
これが典型的な理由不備の判決であるのは明白である。
(二) さらに、「(i)秋元直樹証言の内容自体からその信用性に疑わしいところがあるとは解されない」という原審判決は、上告人の「匿名証言の採用の可否」に関する主張を全く誤解したか、あるいは「伝聞証言の採用の可否」に関する主張のみにあえて限定して曲解することで問題点をすりかえたというほかないものである。原審判決は、本件で提示された伝聞証言のみでの認定が真実性・相当性の判断として自由心証の範囲を逸脱していないかの問題たる「伝聞証言の採用の可否」について答えているかもしれないが(その判断も不当である)、もう一つの「匿名証言の採用の可否」の問題については全く答えていない。
(1) すなわち、「匿名証言の採用の可否」とは、被上告人らが「取材源の秘匿の権利」を自らの自由意志で行使した結果として本件の真実が明らかにならなかったことの不利益を誰が負担すべきかの問題であるが、その不利益は、名誉毀損行為の被害者である上告人ではなく、権利を自ら行使した本人たる被上告人らが負担すべきだというのが上告人の主張であった(控訴人準備書面(二)第二の三2(三)・七三頁)。
これは要するに、「内容そのものが自然か不自然か」という視点だけで匿名証言の採用の可否が決されると、その“取材源”が反対尋問で検証される可能性がないことで、いわば「口先一つでどうにでもなる」伝聞証言の特徴から、証言側が慎重に準備しさえすればいくらでも矛盾のない形の証言を作り上げることができること(そしてまさに秋元直樹証言はその典型例であった)、そのような証言捏造による偽証の危険を全く反証しようもない名誉毀損の被害者に負担させるのは不当であること、その趣旨は数多くの地裁判例が述べている、というものであった(控訴人準備書面(三)二・二頁、東京地裁昭和六三年七月二五日判決・甲一〇二、和歌山地裁新宮支部平成元年一一月二八日判決・甲一〇三、東京地裁平成六年七月二七日判決・甲一〇四及び一〇五)。
(2) これは議論のための議論ではない。本件では実際に、被上告人側が“取材源”を一切特定しないまま抽象的な「匿名」かつ「伝聞」の秋元直樹証言のみしか提出しなかったことで、上告人側としてはこれに対応する証人としては、包括的な一般論を述べる小林健祐証人と、直接取材に広報担当者として対応した小田康博証人を出すしかなかったものであるが、結局控訴審たる原審判決においても、「秋元直樹証言の内容自体からその信用性に疑わしいところがあるとは解されない」などという理由で被上告人側の主張が全面的に採用され、被害者たる上告人側は全く有効な反証の機会が与えられないまま敗訴を余儀なくされてしまった。
このような審理は極めて不公平というほかないものである。
(3) その問題意識を上告人は、「『権利侵害の有無』の判断の段階たる名誉毀損の成否の判断の場面よりも、権利侵害があったことを前提とするその免責の可否の判断の場面では、判断はより厳格になされるべきであるにも関わらず、ことさらに免責の立証を緩やかに判断した一審判決は不当だ」という角度からも主張していたのである(控訴人準備書面(一)第二の三2、控訴人準備書面(三)二・二頁)。
すなわち、「匿名」の取材源に原審判決のように安易に信用性を認めるようなことをすれば、どんないい加減な取材でも“情報を複数の人物から得た”と称しさえすれば、その取材源を全く明かすことが求められないまま常に免責されることになってしまい、そのようなことが常態化すれば、国民の「個人の尊厳」にも直結する重要な人権であるはずの「名誉」が守られるはずもないからである(最高裁昭和六一年六月一一日大法廷判決〔「北方ジャーナル事件」最高裁判決〕は、「名誉は生命、身体とともに極めて重大な保護法益であり、人格権としての名誉権は、物権の場合と同様に排他性を有する権利というべきである」と明確に判示している。その重大な意義について、甲一〇六)。
加えて、本件で問題の「週刊現代」のような雑誌は、右の三つの判例で問題となった日刊新聞とは異なり、速報性が求められない性質のメディアであるから、より厳格ないし高度な注意義務が課されるべきであって、その取材の慎重さは、より強く求められるはずだからである(「注釈民法(19)」有斐閣一九二頁、藤岡康宏「民法判例レビュー(民事責任)」判例タイムズ五四三号一二四頁・甲一〇七等)。
(4) 原審判決は、この上告人の主張に対して全く答えておらず、理由不備というほかないものである。
(三) そして、「(ii)本件では取材源を匿名にすることについて正当な理由がある」という判断も、上告人の主張を曲解した上で問題点をすり替えている。
(1) 正当な理由があるという判断を示しても(その事実認定も誤っている。
控訴人準備書面(一)第二の三3・一〇三頁、控訴人準備書面(二)第二の三2(三)・七三頁、控訴人準備書面(三)三・一二頁)、そもそもここで理由を示したことになり得ない。
(2) なぜなら、原審において上告人が縷々指摘したように、「被告…らが、取材源を具体的に明らかにしないのは、報道機関として取材源秘匿の要請があることによるものであり、そのこと自体は民事訴訟においても尊重されるべきである。しかしながら、そのことは取材源についての釈明や証言の拒絶等が許容されるという範囲にとどまらざるを得ないのであって、相手方当事者、特に本件のように記事により名誉を害された者の不利益においてその主張、立証の程度を緩和することはできない」(東京地裁平成六年七月二七日判決・甲一〇四)、あるいは「ニュースソース秘匿の必要性があるとしても、そのために当該証言内容の証明力が弱められ、被告側の立証責任上不利益を受けることがあっても、それはやむを得ないことである」から(東京地裁昭和六三年七月二五日判決・甲一〇二)、被上告人らの“取材源の安全の確保の必要性”がなる主張が正当かどうかは、そもそも被上告人側の主張・立証の程度を緩和するための根拠にはなり得ないものだからである(控訴人準備書面(三)三)。
したがって、上告人は、原審において秋元直樹証言の「匿名伝聞証言性」を論ずるに際しては、「取材源及び取材者秘匿の必要」があったとしても、それゆえに被上告人らの立証責任を緩めることができないことを確認した上で、そもそもその秘匿の必要があるという点もおかしいという趣旨を補足的に主張しているに過ぎなかった。
(3) にもかかわらず原審判決は、この上告人の理を尽くした主張に全く答えないまま、右地裁判決の趣旨にまったく反した結論を示すだけであるから、これでは到底、理由を付したことにはならない。
3 結局、原審判決は、数多くの判例に反する結論を示すに際し、一般人が普通に読んでも納得できる理由を一切示しておらず、しかも判断を脱漏しているものであって、理由不備の違法として破棄を免れないものである(旧民訴法三九五条一項六号)。
二 「同一ソース」の「一次情報源」からの取材で十分か
1 原審判決は、本件第三記事部分に関して、「仮にこれが上告人に対して批判的立場に立つ人物からの情報に基づくものであるとしても、客観的な証拠(乙第二ないし五号証)の存在等に照らせば、被上告人らにおいてそれを真実であると信じるにつき相当な理由があったとする認定を左右するものではない」旨認定した。
2 しかしながら、この認定も、理由を付したことにならない。
この認定に係わる部分は、一審が、本件第三記事部分の真実性の立証対象を、「上告人草創期に、(a)最終的な人事権を握る主宰が、(b)腹心から上がってくる「活動推進委員報告」などにより、個々の会員の動静を把握しており、(c)その報告がもとで実質的に辞めざるを得なくなった会員がいたこと、(d)その報告書が陰で「ゲシュタポ・レポート」と呼ばれていたこと」とした上で、(a)(b)については真実性が立証されたとし、(c)(d)部分を被上告人らが真実と信じたことが相当かどうかの場面においての議論であった。
上告人が原審において、(c)(d)部分は「同一ソース」の「一次情報源」からの取材に過ぎないから真実と信じたことが相当とは到底言えないことを詳細に批判したことに対して(控訴人準備書面(一)第二の三、控訴人準備書面(二)第二の二2(五)以下)、原審判決は、一審の右判断をそのまま引用する形で是認した上で、さらに付加して右判断を示したものである(なお、この真実性の立証対象の判断の根本的不当性については後述四)。
しかしながら、原審判決の右判断は、ここで問題なのが、(c)「その報告がもとで実質的に辞めざるを得なくなった会員がいたこと」、(d)「その報告書が陰で『ゲシュタポ・レポート』と呼ばれていたこと」を真実と信じたことが相当かどうかの問題であるべきことと、全く矛盾している。
乙第二ないし五号証は、上告人草創期の「活動推進委員報告」という内部文書の一部であるが、会員によるアルバムと文集の無断発行への対処結果、会員から来た手紙の処理結果、活動推進委員と事務局との打ち合わせ結果の報告等の内容に過ぎない。これらは、「腹心からの『活動推進委員報告』等で時々の会員の動静を把握」というような曲解が仮に可能であったとしても、少なくとも、「この報告で会員を辞めさせる内容の報告だ」とか「ゲシュタポ」というような曲解ができる内容のものでないのは、一読すれば明らかなところである。
すなわち、この判断の場面が、(b)「腹心からの『活動推進委員報告』等で時々の会員の動静を把握」の場面であればいざ知らず、また、実際に“会員を辞めさせよ”というような内容の「活動推進委員報告」が証拠として提出されているのならばいざ知らず、乙第二ないし五号証は、原審判決が指摘する右(c)(d)を支える客観的な証拠になるはずもない内容である。
しかるに、原審判決の判断というのは要するに、「活動推進委員報告」という名称の業務報告文書があったという事実さえあれば、いくら“会員を辞めさせる文書”なるものと乖離した証拠に過ぎなくとも、それだけで、「同一ソース」の「一次情報源」からの情報を真実と称して大々的に報道し、上告人の名誉を毀損しても許されるというのである。「同一ソース」の「一次情報源」が取材源であることの問題性は、これでは全く解決していないのである。
3 「同一ソース」の「一次情報源」からの取材がいかに不十分かという問題に関する上告人の主張は、以下のようなものであった(以上につき、控訴人準備書面(一)第二の二4(四)・八〇頁以下、控訴人準備書面(二)第二の二2(五)・六一頁以下)。
(一) 原審において上告人が強く裁判所に訴えたのは、何故に、本件第三記事部分のような単なる「噂話」を、被上告人らが“複数の人物から聞いた”というだけで、それを何の確証もなく世間に公に流布して公益法人である上告人の名誉・信用を毀損し上告人に深刻かつ重大な損害を与えても、その免責が許されなければならないのか、ということであった。素朴な感情として、到底納得できるはずはない。
そして、この素朴な感情に基づく結論は、「ジャーナリズム」の根本に遡れば、その正当性が明らかになる。
(1) 被上告人らのような「マスコミ」ないし「ジャーナリズム」の取材のあるべき姿は、「徹底した裏付け取材を前提とした客観報道」のはずである。「裏付け取材」とは、集めた情報が事実かどうかを確認する取材のことであり、そのためには、同一ソースでない取材源での「クロスチェック」でなければならない。そして、徹底的に現場なり当事者の取材を行なった上で利害関係者等の周辺取材を行ない、その双方の主張をできる限り中立的・客観的に記事にする「客観報道」であるべきである。
一次情報を得ることは「取材のきっかけ」や「取材の端緒」にすぎず、ここでいう「裏付け取材」ではない。「タレコミ」(マスコミに対して情報を流すこと)等の情報を入手しても、それだけでその情報の真実性を客観的に判断することは出来ないし、どんな組織でも存在する反目者、敵対者が相手を貶めるために故意に噂や中傷情報をマスコミに流すのはよくあることだからである。したがって、単なる情報提供者との接触を何回繰り返しても、一次情報を収集している段階に過ぎず、「裏付け取材」とは言えない。
そして、別の人物であっても、同一ソースと変わりない場合(複数の人数が語らってグループを作り、ある組織に反目しているような場合)には、裏付け取材たり得ない。
(2) そこで、本件における被上告人らの取材過程はどうであったか。
〈1〉“草創期から携わっていた元役員”とか“三人の会員”とは、上告人に反目ないし批判的立場に立つ人物であるから(秋元証言)、これは一次情報源に過ぎない。
これは訴外高橋守も全く同様である。同訴外人は、上告人とトラブルを起こした一方当事者として、上告人に反目する立場の人物であることについては、同訴外人は週刊現代の秋元編集者にきちんと話していた(一審第一二回高橋守証人調書四九頁)。同訴外人の証言を全くの留保なしに真実と信じこんでも、「信じるについて相当な理由」があるとは到底言えない。
〈2〉しかも、被上告人らが取材源と称する匿名の人物らが別個の取材源と言えるのかは疑問であり、むしろ、“三人の会員”が“元役員”の紹介である以上(一審第一四回秋元証人調書五六ないし五九項、第一五回同証人調書三〇一項)、これも“元役員”や訴外高橋守らと同一ソースだと見るのが相当である。そして三人一緒に同一の場所で取材し、相互に補完し合う形で取材に応じている状況と見られる以上(一審第一五回同証人調書三〇七項)、この三人は三つの取材源ではなく一つの取材源と見るべきである。したがって、少なくともここで生じている証人の「別個性」への疑問(被上告人らの主張する“三者の情報源〔元役員・三人の会員・高橋守〕”は同一ソースではないかとの疑問)は極めて深刻かつ重大なものだから、これが明らかにならないことにより生ずる不利益は、これを明かすべきであるのに一切明かそうとしない被上告人らが負担すべきものである。
にもかかわらず原審判決が、一審判決に続いて安易にその証言の信用性を認めたのは不当というほかない。
〈3〉しかも、それらの情報源が語っていると被上告人らが主張する情報は、記事の体裁からも明らかなように、そのほとんどが正確な内部資料や証拠に基づく話ではなく、上告人を否定的に見た上での、直接体験ではない憶測や伝聞に過ぎない。
例えば、秋元編集者は、“若い女性に人気のある会員が、『ゲシュタポ・レポート』がもとで、自分が意にそわなかった女性との結婚を大川主宰に言われ、結局それが嫌で会を辞めざるを得なかった話”なる伝聞を証言したが(一審第一四回秋元証人調書六〇項)、これを実体験した高橋和夫証人らは、その真実として、大川総裁に社会常識に照らし職場の上司ないし師として正式な形で結婚を紹介された上告人の職員が、社会常識的な方法でこれをきちんと断るようなこともなく、突然出勤しなくなって上告人を退職していった事件が起こったということを具体的に明らかにしている(一審第一六回高橋和夫証人調書九八項、第一七回同証人調書二四〇ないし二四三項、二四八ないし二五二項、甲五七・一〇三頁以下、甲九三・二ないし四頁、甲九四・三六ないし五五項、一八八ないし三二七項、五〇二ないし五〇六項、甲一〇〇・一二頁)。少なくともそれが“ゲシュタポ・レポートがもとになった事件であった”ことなど、右秋元証言を除いては、本来この件について立証責任があるはずの被上告人側提出の全ての証拠にも一切出てこないから、右証言は全く根も葉もない噂話に過ぎないと認定されるほかないものである。
また、被上告人らが“上告人草創期から、上告人から実質的に追い出された信者の実例”と称して主張した訴外Aの話も(一審第一一回高橋守証人調書四四ないし四七頁)、同訴外人について直接見聞きした高橋和夫証人らの具体的な証言によって、実は、会員の女性にあたかも大川総裁から縁が深いと言われたかのような言い方で交際を迫り断られたことで、いづらくなって辞めていったのが真相であったことが明白になっている(第一六回高橋和夫証人調書八四ないし九一項、第一七回同証人調書二一四ないし二二三項、甲一〇〇・九頁、甲一〇一・第四項)。訴外Bらについても、全く同様である(甲第五七号証八一及び八二頁、一一五ないし一二一頁、甲一〇〇・二六頁、甲一〇一・第四項)。少なくとも、訴外Aの話に関しては、本来この件について立証責任があるはずの被上告人側提出の証拠のうち、伝聞と推定を語った右高橋守証言を除き一切出てこないから、右証言もまた、全く根も葉もない噂話に過ぎないと認定されるほかないものである。
さらに、訴外高橋守についても、同訴外人への反対尋問及び同訴外人について直接見聞きした高橋和夫証人らの具体的な証言等によって、“上告人から実質的に追い出された”どころか、そもそもありもしない株式会社の代表役員を詐称するなどの様々なトラブルを引き起こしたあげくに、出版契約に基づく一〇〇〇万円にものぼる印税不払いのトラブルについて、弁護士同士の交渉の結果、その全額を支払う内容の示談となったことで上告人を去っていった、紛争の一方当事者に過ぎないことが、明白になっているのである(一審第一一回口頭弁論高橋守証言調書、第一二回同証人調書、第一六回高橋和夫証人調書三三ないし六九項、甲二一ないし四六、甲五七・五四ないし五六頁、一二三ないし一二九頁、甲一〇〇・一九ないし二六頁)。少なくとも、反対尋問で容易に崩れた右高橋守証言のほかには、本来この件について立証責任があるはずの被上告人側提出の証拠では、高橋守に関する被上告人ら主張は何も立証されていないから、これもまた、紛争の一方当事者の話を盲目的に信じ込んだに過ぎないと認定されるほかないものである。
この一審の審理で明らかになったのは、これらの情報は、仮に実在の取材源から被上告人らが入手したものであったとしても、単なる一次的な情報に過ぎないことにとどまらず、極めて真実性に疑いがある情報だったから、「取材のきっかけ」「取材の端緒」になることはあっても、その真実性を担保する正当な「裏付け取材」なしに、「その真実性を信じる相当な理由がある」などとは到底言えないことであった。
〈4〉また秋元編集者は、訴外高橋守に取材して“ゲシュタポ・レポート”という呼び名以外は確認した旨証言したが、その内容確認の仕方は極めていい加減なものであった。
すなわち、秋元編集者は主尋問では、訴外高橋守への取材において、“会員の動向は彼らから上がってくる業務報告によって把握していたといったこと、その業務報告で悪く言われた人が結局嫌がらせを受け、上告人を辞めざるを得なかったこと”等の情報を得た旨証言し(一審第一四回秋元証人調書四九項)、反対尋問において、訴外高橋守の証言内容は全部法廷の傍聴席で自分の耳で聞いていたが(一審第一五回同証人調書二八八項及び二八九項)、その際熱心にメモを取って聞いたこと(同調書三一五項)、その上で訴外高橋守の証言は、自分の右証言と同じ内容であった旨証言したが(同調書三一六項ないし三一八項)、訴外高橋守がそのような証言をしていないのは証拠上明らかである(一審第一〇回高橋守証人調書四四頁ないし四七頁、第一一回同証人調書四二頁ないし四八頁)。このやり取りにより、秋元編集者がいかに取材源の供述を都合よく歪めて理解する人物であるかは明白になっているのであって(一審第一五回秋元証人調書三四六項)、このようないい加減な取材の事実が明らかになったにもかかわらず、これを「真実と信ずるべき相当な理由」の証拠とすることが許されるはずはない。
4 結局、原審判決は、極めて詳細かつ緻密な上告人の主張立証に対して、要するに、“被上告人らは一見関連しそうな書証を集めているから、いいではないか”というレベルの理由を付したに過ぎないのである。
これでは、一般人が普通に読んでも納得できる理由を示したとは到底言えないから、理由不備の違法として破棄を免れるものではない(旧民訴法三九五条一項六号)。
三 別の裏取り取材の有無について
1 本件第一記事部分に関して一審が「真実と信じたことが相当」と認定した理由の一つとして、「編集長の被上告人森岩が別の取材源への裏取り取材を指示し、翌日の夕方に裏取りできた旨の報告を受けた」という部分があり、その認定の不自然さは原審における大きな争点だったところ(控訴人準備書面(一)第二の一3、被控訴人準備書面第一の二5、控訴人準備書面(二)第二の一3(六)等)、原審判決は右の一審の認定を、何の説明もなくそのまま引用する形で是認した。
2 しかしながら上告人は、一審判決が“裏取り取材の指示をしておいたら『できた』と報告を受けた”との被上告人森岩の証言を、被上告人側の裏付け取材の立証の一部として認めたことは、健全な社会常識と経験則に反する極めて不当な認定であることを、以下のように具体的に指摘し、被上告人らの主張の明らかな虚偽まで詳細に指摘していたというのに、原審判決はこれに一切答えていない。その不当性は、上述の「匿名伝聞証言による真実性の認定」の判断が不当極まりないことで、より鮮明になっている。
(一) すなわち、第一に、そもそも、この証言は、記事の直接の担当編集者であった秋元編集者を始めとする被上告人側の証人尋問が全て終わり、上告人側の証人尋問も全て終わって、被上告人らが取材源の真実性の立証に失敗したことが明白になった最終段階で突然、被上告人森岩の尋問が申請され、その口から突然登場したもので、本来最初の段階で登場すべき内容が最終段階で登場したという審理の過程に照らすと、極めて不自然な証言だった。
第二に、右証言は、“裏付け取材とはそういうものだから、私は自分の指示どおりきちんと別人への確認がされたと思った”というものにすぎず、実際に別人へのクロスチェックが記者によってなされたか否かについては、自分が指示をした“名前さえ明らかにできない編集次長”を信じている、というだけの極めて不自然な証言だった。
ところが第三に、同被上告人は証言当時、出版社において裁判を担当するセクションである「編集総務局」の次長職にあり、しかも本件訴訟の法廷の傍聴席でいつも本件審理を傍聴していた人物であったから、具体的にそのような裏取りがなされているかどうかが本件訴訟の重要部分の真実性の立証において決定的な事情であることは自明のことであったはずにもかかわらず、そしてそれ故に、今回の法廷で証言前に詳細な打ち合わせを被上告人らにおいてしていないはずもないのに、わざわざ「どういう内容の裏取りだったか」を確認していないという不自然極まりないものであった。
第四に、「別の裏付け取材の実行」という重要な事実が本当に存在したのであるならば、毎回毎回、被上告人講談社幹部が必ず複数名は法廷傍聴していることに象徴されるように、被上告人講談社が総力を挙げて取り組む本件訴訟の打ち合せの場において、上告人への継続取材チームの中核メンバーである秋元編集者が全く知らない別の情報源がいて、その取材源からきちんと“クロスチェック”がなされていたことが、審理の最終段階まで情報として上がっていないはずもないのに、突然、この最終段階で登場したのも、やはり不自然極まりない。
これらの諸点を勘案すれば、むしろここでは、この“別の裏取り取材”なるものが実際になされたことを法廷で明らかにできないことを確認したが故に被上告人らは主尋問で、“裏取り取材の指示をしておいたら『できた』と報告を受けた”ことのみに証言を止めた、と見るのが自然であるとともに、健全な常識、そして経験則にも沿っているはずである(控訴人準備書面(一)第二の一3・三〇頁、控訴人準備書面(二)第二の一3(六)・二九頁)。
(二) さらに、被上告人森岩の証言が本当に真実であれば、これは“段ボール箱の現金搬入”の真実性を立証する極めて重要な事実であるから、同被上告人の言う“編集次長”や“担当デスク”の証人申請が被上告人側からあってしかるべきであるが、そのような申請が一切ないこと自体、被上告人森岩の右証言の信用性のなさを示している。
そもそも裏取り取材の指示を受けた者の氏名さえ明かせない理由について、被上告人森岩は、「現在でもジャーナリスト、編集者をしていて、そういう幸福の科学と関わり合いがあったということが今後の彼の活動に支障を来す恐れがある」旨述べたが、同被上告人からこの裏取り取材の指示を受けた人物は管理職としての「編集次長」に過ぎず、実際に裏取り取材をしたのは、この「編集次長」の指示を受けた「担当デスク」からさらに指示を受けた「裏取り取材に走った記者」のはずであるのに、この記者の名前がここで問題になっているのならばいざ知らず、同被上告人の言うのは、本件訴訟で被上告人らが守るべき利益と比べて、問題外に低いものに過ぎない。被上告人森岩の証言は、「合理的理由」という観点から見て全く説得力を欠いている。
結局、ここでの被上告人森岩の証言の不自然さは、「裏取り取材の指示を受けた編集次長」と「裏取り取材に走った記者」の氏名が明らかになり、両名が本法廷に証人として申請されてその供述の虚偽性が明らかになることを防ぐ意図でなされたものと見るほかない(控訴人準備書面(一)第二の一3(二)(4)・三三頁、控訴人準備書面(二)第二の一3(七)・三三頁)。
(三) 同被上告人の証言の根源的な問題点は、そもそも同被上告人の証言どおりだとすると、“継続取材のチームに入っていない者が、水曜日の夜中に指示をされて、上告人への継続取材チームの中核メンバー秋元編集者の全く知らない別の情報源を上告人の職員の中に見いだして、翌日の夕方までにその人物に取材した上、同じ事実を確認した”ということになるのに、そのようなことが物理的に可能なはずもないことにある(控訴人準備書面(一)第二の一3(六)(6)・三五頁)。
誰が考えてみても、同被上告人から指示が出されたのは深夜であり報告は翌日の夕方である以上、取材時間は翌木曜日の日中しかないのに、一体誰がこれを取材したのか、木曜日は上告人の勤務日であるところ、勤務時間中にどうして被上告人講談社の社員が上告人の職員と接触できたのか、“『一人目の取材源』は上告人の職員だったからこそ上告人総合本部内での出来事を目撃できた”と主張しながら、何故に『二人目の取材源』が上告人の職員ではないのか等、数々の疑問が生じるのが当然である。
もちろんそれが出来る可能性がゼロではないにしても、ここで、このような高いハードルを週刊現代編集部は越えたのだ、越えることが出来たのだというのであるならば、そのような経験則に反する事柄の立証は、当然のことながら被上告人らがなすべき場面である。
被上告人らは、何故に“取材源”が“上告人の職員”であるのに(あるいは何故か“職員でもない人物”であったのに)被上告人らが取材できたのかを、取材したと称する社員から具体的に調査の上、きちんと主張・立証するという当然の作業さえしないまま、被上告人森岩の曖昧な証言だけを材料にして言葉激しく「取材できた可能性があるではないか」というレベルの議論をしただけで、この数々の当然の疑問に全く答えることができなかった。この厳然たる事実こそ、まさに被上告人らの主張の虚偽性を明らかにしたものだったのである(控訴人準備書面(二)第二の一3(八)・四〇頁)。
(四) 上告人は、被上告人森岩が「要するに、裏取りということはクロスチェックになるわけです。クロスチェックということは、当然別人でなければならないという前提があると思います。そういうことは日頃から裏取りをきちんとするようにと、慎重にするようにということを指示しておる」と述べたが、同被上告人が編集長であった週刊現代編集部では、同被上告人が言うような“本来あるべき裏付け取材”の教育など行なっていなかったし、また実際にもそのような“本来あるべき裏付け取材”はなされていなかったことが、一審の法廷における週刊現代の秋元編集者の証言によってすでに明らかになっていたことを指摘した(控訴人準備書面(一)第二の一3(二)(7)・三六頁ないし四二頁)。
これに対して被上告人らは、“秋元証人の『裏取り』の認識は、森岩供述の『裏取り』と何ら異なるところはない”などと強弁したことで(一九九六年一二月一七日付被控訴人準備書面第一の二7)、まさに自ら馬脚を現す結果となったこともまた、上告人は原審において指摘した。
すなわち、ここでの被上告人らの強弁を整理すると、第一に、被上告人森岩は「裏取りということはクロスチェックになるわけです。クロスチェックということは、当然別人でなければならないという前提があると思います」と述べてはいても、その趣旨は“報道しようとする事実自体の情報またはその事実を推測させる情報が別の取材源からも得られていなければならない”というものであること、第二に、秋元編集者は、上告人の職員から取材した段ボール箱の現金搬入の事実について、別の記者が同事実を推認させる段ボール製の植福箱の存在を別の正会員から取材し、写真で確認した旨の情報を裏付け取材の一つである旨証言していること、第三に、したがって、秋元編集者の「裏取り」の認識は、被上告人森岩の「裏取り」と何ら異なるところはない、というものである。
これはあきれたことに、被上告人森岩証言の「からくり」を、上告人がすでに指摘したのと全く同じ内容で、自ら解説してしまったものだった。つまり、ここでの秋元直樹証言と森岩証言の食い違いを合理的に説明するためには、被上告人らが「裏取り」という言葉の定義の曖昧さを利用して、被上告人森岩としては「別人でのクロスチェック」のつもりだったが、指示を受けた編集次長は「支部に段ボール箱の献金箱が設置されたことの確認が裏取りだと思っていた」ということにすることで、「被上告人森岩は偽証していない」と言い逃れすることができるよう、被上告人森岩に慎重に証言させたと理解するほかなく、そのように理解して初めて「不可能を可能にする」被上告人森岩の右証言の真の意味は明らかになるというのが、上告人の理解であったが(控訴人準備書面(一)第二の一3(二)(7)・三六頁)、被上告人らの右主張は、まさにこれを明確に自認したものだったのである。
むしろ、被上告人森岩の「陳述書」(乙三五)には、はっきりと“裏取り取材に走った記者が段ボール箱搬入を目撃した会員の証言を得た”と明記されているから、陳述書のこの部分に間違いはないと証言した被上告人森岩は偽証したことが明白であった(一審第二一回口頭弁論森岩弘本人調書一〇ないし一四項)。嘘に嘘を重ねたことで、被上告人らは見事に「馬脚を現した」のは明白だったのである(控訴人準備書面(二)第二の一3(九)・四三頁)。
3 ところが、このような詳細かつ具体的な上告人の論証にもかかわらず、原審判決はこれに一切答えないまま、一審の認定を何の説明もなくそのまま引用する形で是認したのである。
これは経験則に反する自由心証違反の認定として(旧民訴法一八五条)、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背であるし(同法三九四条)、一般人が普通に読んでも納得できる理由を示しておらず、理由不備の違法として破棄を免れないものである(旧民訴法三九五条一項六号)。
四 真実性の立証対象の問題
原審判決は、本件第一記事部分及び本件第三記事部分の真実性の判断において、真実性の立証対象が何かという原審で大きく論じられた問題について、全く理由不備である。
1 本件第一記事部分について
(一) 原審判決は、本件第一記事部分に関して、前半部分では一審判決をそのまま引用する形で、記事の「主要部分」が「それまでと比べて際立って積極的な集金活動があったこと」だと認定しておきながら、後半に判断を付加して、「本件第一記事部分の主要部分は上告人内における『三〇〇〇億円の集金構想』の存在であり、それが上告人の組織内の計画として存在する以上、上告人の行為として目されてもやむを得ないところであって、被上告人らにおいてさらに具体的に集金活動に関する上告人の体制の内容を主張立証する必要はない」旨認定している(原審判決二一頁以下)。
(二) しかしながら、この認定も不当極まりない。
(1) まず原審判決は、当該記事の「主要部分」が何かについて、明らかに前半と後半で矛盾している。後半で付加された判断部分は、原審において、本件第一記事部分の「主要部分」は何か、すなわち名誉毀損行為が免責されるための「真実性の立証対象が何か」が問題だったことに対応しているのであって、この矛盾は見過ごせるような性質のものではない。
(2) すなわち、上告人は原審において、当該記事の内容(本件第一記事部分の「主要部分」)は、本件第一記事部分の「『三〇〇〇億円集金』をブチあげた『幸福の科学』主宰大川隆法の“大野望”」という大見出しに照らせば、「周知徹底された“三〇〇〇億円集金計画”に基づき積極的な集金活動が開始されたこと」のはずであること(そうでなければ、このような「三〇〇〇億円集金」を「ブチあげた」とか「大川隆法の“大野望”」というセンセーショナルな見出しになるはずもない)、そしてそう言えるためには(すなわち「真実性の立証対象」は)、上告人の機関誌に「ミラクル献金三〇〇〇億円構想」記事が掲載されただけでは足らず(そうでなければ、大見出しがこのようにセンセーショナルなものになったはずもない)、“三〇〇〇億円集金”の具体的体制、“三〇〇〇億円集金”の会員への周知、“三〇〇〇億円集金計画”に基づく積極的な集金活動が必要だと主張していた(控訴人準備書面(一)第二の一2・六頁)。これはすなわち、「ミラクル献金三〇〇〇億円構想」は「三〇〇〇億円集金計画」だったのか、が問題だということでもあった。
そして、一審判決のような「『それまでと比べて際立って積極的な集金活動があったこと』が記事の『主要部分』だ」というような判断をすると、上告人が「ミラクル献金三〇〇〇億円構想」記事の会員向け機関誌掲載の直前に宗教法人化したばかりであることから、全く布施を受け入れていなかった宗教法人化以前の時期と、税法上受け入れた献金に免税の特典を受けられることで積極的に布施を受け入れている宗教法人化以後では、上告人のどんな行為が取り上げられても「それまでと比べて際立って積極的な集金活動」に該当してしまい、不当に緩やかに被上告人を免責してしまうことをも主張していた(控訴人準備書面(二)第二の一2・四頁)。
(3) この上告人の主張に対して、原審判決の後半の判断は、典型的なトートロジー(循環論法)による理由付けである。
ここでの問題は、まさに、「“三〇〇〇億円集金計画”があったかどうか」であるのに、「三〇〇〇億円の集金構想があったから」という原審判決の示す理由付けは、「ミラクル献金三〇〇〇億円『構想』」があったことは争いがないことを利用して、この「構想」の意味こそがここでの中心問題のはずなのに、微妙に言葉をすり替えることで上告人の主張を強引に排斥したに過ぎないのである。
仮に『ミラクル献金三〇〇〇億円構想』が“三千億円集金計画”であるか否かは評価の問題であったとしても、被上告人らはこれを“三千億円集金計画”であったと断定し、これに基づいて聖職者であるところの上告人の主宰者に“大野望”があると断定する本件記事を大々的に世間に流布させることで、主宰者に指導されて教義を形作る宗教団体たる上告人の社会的評価を大きく毀損したのであるから、本件においてはこれが真実“三千億円集金計画”であると合理的に推認できるような事実が被上告人らによって立証されるべきは当然のことだ、というのが上告人の主張であった。
原審判決は、この上告人の主張に全く何も答えていない。
2 本件第三記事部分について
(一) 先にも指摘したように、本件第三記事部分の真実性の立証対象について、原審判決は、一審が上告人草創期に、(a)最終的な人事権を握る主宰が、(b)腹心から上がってくる「活動推進委員報告」などにより、個々の会員の動静を把握しており、(c)その報告がもとで実質的に辞めざるを得なくなった会員がいたこと、(d)その報告書が陰で「ゲシュタポ・レポート」と呼ばれていたこととしたことを、一切説明しないまま引用する形で是認した。
(二) しかしながら、これもまた理由を付したことにならない。
(1) 上告人は原審において、第一に、本件第三記事部分で問題なのは本来、“みんなが陰で『ゲシュタポ・レポート』と呼んでいる『業務報告』で少数の『腹心』に悪く言われた人は、すぐに上告人を追い出された。上告人という団体の草創期はこのような運営がなされていたのであり、この団体は当初から『問題教団』になる危険性をはらんでいたのだ”という内容であるから、この本件第三記事部分の要証事実は、〈1〉上告人は当初から『問題教団』になる危険性をはらんでいた、なぜなら、〈2〉上告人の草創期にはみんなが陰で『ゲシュタポ・レポート』と呼んでいる『業務報告』があった(大川主宰が会員の動向を腹心から毎日上がるその報告書で把握していた)、〈3〉そのゲシュタポ・レポートで少数の『腹心』に悪く言われた人はすぐに上告人を追い出されるという運営がなされていた、というように分析されるべきであること、第二に、本件記事には、(c-2)「すぐに追い出された」、(d-2)「みんなが呼んでいた」と書かれてはいても、(c)「その報告がもとで実質的に辞めざるを得なくなった会員がいたこと」、(d)「その報告書が陰で『ゲシュタポ・レポート』と呼ばれていたこと」とは書かれていないこと、一審がこのような形で記事内容を歪めることで免責を可能にしたことを指摘し、この問題こそ本件第三記事部分をめぐる一審判決の誤りの出発点であり、法的判断の中心部分であることを明らかにしていた(控訴人準備書面(一)第二の二2・四六頁)。
すなわち、(c)「その報告がもとで実質的に辞めざるを得なくなった会員がいたこと」と被上告人が信じたことがあったとしても、それは、(c-2)「すぐに追い出された」と断定的に記載された本件第三記事部分の記述を免責できるはずもないのに、一審判決のこのような事実整理を何の説明もなく許容した原審判決は、全く理由不備というほかないものである。
また、一審判決の(d)「右報告書が陰では『ゲシュタポ・レポート』と呼ばれていたこと」という事実整理は、ここで問題なのが、本件第三記事部分の(d-2)「みんなが陰で『ゲシュタポ・レポート』と呼んでいる」と表現された、“『ゲシュタポ・レポート』なる名称がいかにも内部でポピュラーなものだった”かのような記述であるというのに、あえて「呼ばれていた」という受け身の表現で、上告人の会員数名が『ゲシュタポ・レポート』と呼んだことさえあれば真実と認定できるかのような、本件第三記事部分の表現とかけ離れた事実整理で、被上告人らの免責を容易にしている。これは単なる言葉のあやではすまされない重要問題であって、これでは上告人に反発して上告人を退会した(ないし退会しようとしている)わずか数名で構成されるグループに個別に“取材”して、「自分はそう呼んでいた」旨の言質をとりさえすれば、これを真実と信じたことに相当性が認められることになってしまう(実際に一審判決はそのような認定をしている)。それでは上告人の名誉・信用毀損を免責する理由にはならないというのが、上告人の主張であったが、この上告人の批判に原審判決は全く答えず、何の理由も付さずに是認したのは、理由不備というほかない。
(2) さらに、上告人は原審において、(a)「上告人においては、大川主宰が全ての最終的な人事権を掌握していること」を本件の真実性の立証に大きな意味があるかのように一審判決が考えていることには合理性が全く欠如していることを指摘し続けた(控訴人準備書面(一)第二の二2(五)・五二頁)。
そもそも宗教団体である上告人において、その主宰者である大川主宰が全ての最終的な人事権を持っていたとしても、それが他の団体と同様に大きな意味があるのは、上告人の職員に対してのはずであって、“大川主宰が職員を人事によって退職に追い込むことがあった”というのがここでの問題であればいざ知らず、ここで問題となっているのは「職員」ではなく「会員」である。上告人は、当時宗教法人化する以前、まだ会員数が数千人に達しない段階の組織であったとはいえ、会員の全てが上告人において何らかの役職についていたはずもないから、“なんら雇用関係にない会員を配置転換し、それにより実質的に会員を辞めざるを得ない状況に追い込む”などという事実整理は、全く合理性を欠いている。
結局、一審判決のこの事実整理は、本件第三記事部分が“みんなが陰で『ゲシュタポ・レポート』と呼んでいる『業務報告』で少数の『腹心』に悪く言われた人は、すぐに上告人を追い出された。上告人という団体の草創期はこのような運営がなされていたのであり、この団体は当初から『問題教団』になる危険性をはらんでいたのだ”という内容であること、そこでは「“腹心”に操縦された大川主宰が会員に対して“恐怖政治”を行なっていたのが草創期の上告人の実態だ」とでもいうものであること、そしてその真実性を立証できるか否かがここでの問題であることを見失ったものであったが、この一審判決を原審判決は何の理由も付さずに是認したのであって、理由不備というほかないものである。
3 このように原審判決は、本件第一記事部分についても、本件第三記事部分についても、真実性の立証対象の問題につき、一般人が普通に読んでも納得できる理由を示していない。これは、理由不備の違法として破棄を免れないものである(旧民訴法三九五条一項六号)。
以 上
(別紙)
一 本件第一記事部分
平成三年六月二四日に発売された同年七月六日号の週刊現代の「内幕摘出レポート 『3000億円集金』をブチあげた『幸福の科学』主宰大川隆法の“大野望”東大法卒の“教祖”が号令!」と題する記事のうち、以下の記述部分(甲第九号証三二頁)。
「私は入会して3年になりますが、宗教法人として認可(今年3月7日)されてから、おカネの動きが激しくなりました。この前、(東京・千代田区)紀尾井町ビルの本部で、ちょうどみかん箱くらいの段ボールが数個、運び込まれているところに居合わせたんです。経理の人に『あれはコレですか』って現金のサインを指でつくったら、その人は口に指を当てて“シー”というポーズをした後、『そうだよ。でも、他の人にいってはダメだよ』といいました」
いま話題の新興宗教「幸福の科学」(大川隆法主宰)の中堅会員は声をひそめて語った。
ついに、あの「幸福の科学」が、巨額の資金集めを始めたというのだ。
(注)原審判決が引用する一審判決の主張整理は、タイトルの一部及び本文の傍線部分が脱落している(控訴人準備書面(一)第一の一2)。
二 本件第三記事部分
平成三年九月一六日に発売された同年同月二八日号の週刊現代の「徹底追及第2弾 続出する『幸福の科学』離反者、内部告発者の叫び 大川隆法氏はこの『現実』をご存知か」と題する記事のうち、以下の記述部分(甲第五号証四三頁三段目)。
ゲシュタポ・レポートとは
……「幸福の科学」とはどういう教団なのだろうか。
草創期から携わっていた元役員は次のようにいう。
「もともと大川氏は口数も少なく、大人しいタイプでした。会員をはじめ、役員たちとあまり話をすることもありません。教団の運営は、ごく限られた“腹心”たちと決めていました。会員の動向は、その腹心たちから毎日上がってくる『業務報告』で把握していました。ただこの報告が問題。ここで悪くいわれた人は、すぐ教団を追い出されました。みんな、この報告のことを陰でゲシュタポ・レポートと呼んでいました」
当初からこの集団は“問題教団”になる危険性をはらんでいたのである。
(注)一審判決の主張整理は、やはりタイトルの一部、小見出し及び本文の傍線部分が脱落している(控訴人準備書面(一)第一の一2)。