「週刊新潮訴訟」

提訴と東京地裁判決

週刊新潮(2007年1月4・11日新年特大号、2006年12月末発売)は、“小学校の校長やPTA会長に対して、幸福の科学が集団で威圧して恐怖させている”という甚だしい虚偽を、センセーショナルな見出しとともに掲載することで、幸福の科学の名誉を著しく毀損しました。

その事前取材に対して、幸福の科学側は、2時間にわたり丁寧に対応し、翌日には広報担当者が編集部を訪問し、さらには文書によって何度も虚偽を掲載しないよう説得を重ねましたが、週刊新潮側は最後には黙殺するという、不誠実きわまりない対応をしてきたことで、ついに幸福の科学は、2007年1月31日、発売元の新潮社、編集長、担当デスク、担当記者を被告とする損害賠償と謝罪広告を求める訴訟を東京地裁に提起しました。

11回の口頭弁論において週刊新潮側は、原告の幸福の科学が記事中、もっとも虚偽が甚だしい部分のみを審判の対象(「請求の原因」)としたことに異を唱え、記事全体を審判の対象とするよう強く主張を繰り返し議論となりましたが、民事訴訟における審判の対象の設定は訴訟を提起した原告の専権ですので、そもそも通る主張ではありません。

結局、週刊新潮側は、幸福の科学側の要求に従って、取材メモ、データ原稿などを提出せざるを得ない展開になり、取材の日時やその内容の主張が揺れ動く中、数次にわたる求釈明で、取材の生の実態が明らかになりました。これらの証拠の中に、当該記事部分に係わる内容がほとんど出て来ないことを指摘する幸福の科学側に対し、週刊新潮側は、“データ原稿には一部を削除して裁判所に証拠提出したものがある”などと主張しました。ところが、担当デスクと担当記者の被告本人尋問において、反対尋問により、この主張を撤回。要は、裏付け取材など何もなかったことがあらわになりました。

その結果として、2008年10月1日に言い渡された判決は、審判の対象に関わる週刊新潮側の主張をあっさりと退けた上で、「本件見出しと本件記載の内容は、原告の社会的評価を低下させるものであると認められるところ、それらの内容が真実であるとも、また、真実であると信ずるについて相当の理由があったとも認められない」として、週刊新潮側に、200万円の損害賠償(仮執行宣言付き)を命ずる、幸福の科学の勝訴判決となりました(東京地裁平成20年10月1日判決)

週刊新潮側の控訴とその取り下げ

幸福の科学は、東京地裁の判断には不十分な点があると考えていたものの、週刊新潮側が名誉毀損と認定された結果を真摯に受け止め反省するのであれば、これを受けいれようとの考えで控訴しませんでしたが、週刊新潮側は、同年同月9日、あえて控訴してきたため、幸福の科学も附帯控訴しました。
 幸福の科学が、東京高裁において是正されるべきと主張した地裁判決の問題点は、第一に、東京地裁が名誉毀損を認めたのは本件記事と記事の見出しだけで、この見出しを用いた新聞広告の名誉毀損を認めなかったこと、第二に、あたかも“集団抗議”があったかのように認めたこと、第三に、損害賠償認容額が、発生した被害に比してあまりに少額である上に、謝罪広告も認めなかったことでした。
 幸福の科学側は、控訴審第1回口頭弁論に向けて、事前に詳細に準備書面等でこれらを主張し、新たな証拠も多数提出するなどの立証活動を行ないましたが、週刊新潮側は、一審の主張を単純に繰り返すだけで新たな立証は何もないという姿勢であり、東京高裁は、この双方の主張・立証を受けて、2009年1月20日の第1回口頭弁論で結審、判決期日を2月26日に指定した上で、強く和解勧告しました。
 翌1月21日の和解協議において裁判所は、幸福の科学勝訴の強い心証を示しつつ、週刊新潮側のみに、どのような和解であれば考えられるかを検討するよう指示、28日はその回答期限でしたが、この日に突然、週刊新潮側は控訴を取り下げました。
 判決を前にしたこのタイミングでの控訴取り下げというのは、これまでの週刊新潮側の姿勢(提訴に至るまでのかたくなな対応、地裁の和解勧告を二度にわたり拒否、控訴して戦い続ける外形だけは作る等)に照らして考えにくいものでしたが、控訴審において週刊新潮側が内容のある主張を何もできなかったことに比した幸福の科学側の新主張・立証の強力さ、東京高裁が示した明白な心証などで、法廷での戦いから〝遁走″してしまったと言わざるを得ない結末となりました。

「週刊新潮訴訟」の成果

今回の控訴取り下げにより、一審東京地裁の幸福の科学勝訴判決が確定することになり、週刊新潮側は2月12日、判決に従い利息付きの損害賠償金を支払ってきました。東京地裁判決の問題点はただされませんでしたが、本件記事が杜撰な取材による記事であったこと、自らの控訴に理由がなかったことを、週刊新潮(新潮社)自身が実質的に認めた結果となりました。
 私たち幸福の科学は、民主政における「言論の自由」の重要性は認めつつも、自由には責任が伴うのであり、「言論の自由」は嘘をつく自由ではない、虚偽の記事を頒布して人の心を傷つける放埒を許す自由ではないと考えています。週刊新潮(新潮社)が、これを機に真摯に反省されるよう、私たちは強く願っています。

(了)