大阪地裁平成5年2月26日判決

◇ 大阪地裁平成5年2月26日判決 平成3年(ワ)第8018号損害賠償請求事件

 原告 北口義明 外七三八名
 右原告ら訴訟代理人弁護士 安田信彦
 同 佐藤悠人
 同 古川靖
 被告 株式会社講談社
 右代表者代表取締役 野間佐和子
 被告 野間佐和子
 同 元木昌彦
 同 森岩弘
 同 佐々木良輔
 同 早川和廣
 同 島田裕巳
 右被告ら訴訟代理人弁護士 河上和雄
 同 的場徹
 右被告ら訴訟復代理人弁護士 山崎恵
 同 成田茂

   主  文

 一 原告らの請求を棄却する。
 二 訴訟費用は原告らの負担とする。

   事実及び理由

第一 請求
 被告らは、各原告らに対し、連帯して各自金一〇〇万円及びこれに対する平成三年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
 本件は、被告らが捏造記事等を執筆掲載したことにより、宗教法人幸福の科学(以下「幸福の科学」という。)及びその主宰者で信仰の対象である訴外中川隆(原告らは大川隆法と呼ぶ。以下「大川主宰」という。)を誹謗中傷した結果、大川主宰と幸福の科学に帰依し、幸福の科学の正会員である原告らの宗教上の人格権ないし法的利益を侵害し、精神的損害を与えたと主張して、慰藉料を請求した事案である。
 一 争いのない事実等
  1 原告らの地位
 幸福の科学は、「地上に降りたる仏陀(釈迦大如来)の説かれる教え、即ち、正しき心の探究、人生の目的と使命の認識、多次元宇宙観の獲得、真実なる歴史観の認識といった教えに絶対的に帰依し、他の高級諸神霊、大宇宙神霊への尊崇の気持ちを持ち、恒久ユートピアを建設することを目的と」し、「その目的達成のため、各種儀式行事を催行するとともに会員の強化育成事業を行う」こと等を目的とする宗教法人であるが(〈書証番号略〉)、原告らは、幸福の科学の代表役員である大川主宰を、神の言葉を預かる預言者にして地上に降りたる仏陀として信仰の対象としている(〈書証番号略〉、弁論の全趣旨)。
 原告らは、幸福の科学の正会員である(〈書証番号略〉、弁論の全趣旨)。
  2 被告らの地位
 被告株式会社講談社(以下「被告会社」という。)は、雑誌及び書籍の出版等を目的とする株式会社であり、雑誌「週刊フライデー(以下「フライデー」という。)」、同「週刊現代」、同「月刊現代」を出版しているものであるが、被告野間佐和子(以下「被告野間」という。)は被告会社の代表者代表取締役社長であり、被告元木昌彦(以下「被告元木」という。)はフライデーの編集人、被告森岩弘(以下「被告森岩」という。)は週刊現代の編集人、被告佐々木良輔(以下「被告佐々木」という。)は月刊現代の編集人であり、被告早川和廣(以下「被告早川」という。)はフライデーの後記各記事本文の執筆者であり、被告島田弘巳(以下「被告島田」という。)は、宗教学を専攻する日本女子大学文学部史学科助教授であり、月刊現代の後記記事本文の執筆者である。
  3 本件各記事の執筆、掲載
   (一) フライデーの記事(一)(被告早川、同元木を中心とする不法行為)
 (1)  被告早川は、幸福の科学及び大川主宰に関する記事を執筆し、右記事は、被告会社フライデー編集部において「連続追求 急膨張するバブル教団『幸福の科学』大川隆法の野望『神』を名のり『ユートピア』ぶち上げて3千億円献金めざす新興集団の『裏
側』」と題され、フライデー平成三年八月二三日・三〇日号に掲載された。右雑誌は、発行日の約二週間前に発売された。
 (2)  この記事の中には、次のような記述がある。
 GLA元幹部で現在、東京・墨田区で人生相談の石原相談室を開いている石原秀次氏は語る。
 「彼がまだ、商社にいるころでした。ぼくのところに、ノイローゼの相談にきました。『GLAの高橋佳子先生の『真創世期』を読んでいるうちにおかしくなってしまった。自分にはキツネがはいっている。どうしたらいいでしょうか』と。分裂症気味で、完全に鬱病状態でした。ノイローゼの人は名前や住所を隠す場合が多いんですが、彼も中川一郎(本名は中川隆)と名のっていました。」
 その青年が、数年後の現在、霊言の形を借りては、あらゆる宗教家、著名人になりかわり、ついには自分は『仏陀である』と語るのだ。
 大川氏の変身ぶりの背後に何があったのか。宗教の摩訶不思議な作用というには、あまりにいかがわしさがつきまとっているとはいえまいか。
   (二) フライデーの記事(二)((一)に同じ)
 被告早川は、右(一)とは別に、幸福の科学及び大川主宰に関する記事を七回執筆し、右各記事は、被告会社フライデー編集部において「連続追求 急膨張するバブル教団『幸福の科学』大川隆法の野望」と題され、フライデー平成三年九月六日号、同月一三日号、同月二〇日号、同年一〇月四日号、同月一一日号、同月一八日号及び同月二五日号に掲載された。右各雑誌は、各発行日のそれぞれ約二週間前に発売された。
   (三) 週刊現代の記事(一)(被告森岩を中心とする不法行為)
 (1)  週刊現代平成三年七月六日号は、「内幕摘出レポート『三〇〇〇億円集金』をブチあげた『幸福の科学』主宰大川隆法の“大野望”東大法卒の“教祖”が号令!」と題する記事を掲載した。右雑誌は、発行日の約二週間前に発売された。
 (2)  この記事の中には、次のような各記述がある。
 〈1〉 「私は入会して3年になりますが、宗教法人として認可(今年3月7日)されてから、おカネの動きが激しくなりました。この前、(東京・千代田区)紀尾井町ビルの本部で、ちょうどみかん箱くらいの段ボール箱が数個、運び込まれているところに居合わせたんです。経理の人に『あれはコレですか』って現金サインを指でつくったら、その人は口に指をあてて“シー”というポーズをした後、『そうだよ。でも、他の人にいってはダメだよ』といいました」
 いま話題の新興宗教「幸福の科学」(大川隆法主宰)の中堅会員は声をひそめて語った。
 ついに、あの「幸福の科学」が、巨額の資金集めを始めたというのだ。
 〈2〉……もともとこの教祖はなかなか自己顕示欲が強く、プライドも高いのは確か。
 「6月16日、広島で行われた講演で大川氏はこんなことを言っていました。
 『最近、会員のなかに霊がわかるという人がでてきたようだが、皆、そんな人に惑わされないように。もともと、その霊能力も私が授けたものなんだから』
 自分以外の者が勝手なことをしたり、注目を集めるのが許せないんです」
   (四) 週刊現代の記事(二)((三)に同じ)
 (1)  週刊現代平成三年九月二八日号は、「徹底追求第2弾 続出する『幸福の科学』離反者、内部告発者の叫び 大川隆法氏はこの『現実』をご存じか」と題する記事を掲載した。右雑誌は、発行日の約二週間前に発売された。
 (2)  この記事の中には、次のような各記述がある。
 〈1〉……「幸福の科学」とはどういう教団なのだろうか。
 草創期から携わっていた元役員は次のようにいう。
 「もともと大川氏は口数も少なく、大人しいタイプでした。会員をはじめ、役員たちとあまり話をすることもありません。教団の運営は、ごく限られた“腹心”たちと決めていました。会員の動向は、その腹心たちから毎日上がってくる『業務報告』で把握していました。ただこの報告が問題。ここで悪くいわれた人は、すぐ教団を追い出されました。みんな、この報告のことを陰でゲシュタポ・レポートと呼んでいました」
 当初からこの集団は“問題教団”になる危険性をはらんでいたのである。
 〈2〉 大川隆法主宰(本名・中川隆)は……いったいどんな“素顔”をもった人物なのだろうか。
 「銀座の高級クラブで10人くらいの側近を引き連れた大川氏と一晩、ヘネシーを飲んだことがあるけど、物事を論理的に話すヤツだなあという印象を持ったな。ただ、自分より上のヤツは持ち上げ、へつらうところがある。意外と気も小さいと思ったな」
 というのはある画家(特に名を秘す)である。
 今春、銀座の画廊で「観音様」をテーマにした個展を開いたとき、大川氏が一団に囲まれて会場に現れ、40号の「観音様」の絵を50万円で買ってくれたというのだ。
 その画家が、
 「できるだけ無欲の精神で描こうと思っていますが、なかなかうまくいかないものです。煩悩の数だけ生きて、109歳にでもなれば、納得のいく絵が描けるかもしれません」
 というと、大川氏は、
 「私も宗教者として全く同じ気持ちです」と答え、意気投合。
 そして大川氏の側近から、「銀座で一杯いかがですか」と誘われ、一緒に飲んだというわけだ。
 ただ、行った店は大川氏の行きつけではなかったようで、店内でも大川氏は静かにグラスを傾けていたという。
   (五) 週刊現代の記事(三)((三)に同じ)
 (1)  週刊現代一〇月一二日号は、「『幸福の科学』の強引な『カネと人』集めははた迷惑だぞ! 今度は小誌が名誉棄損だって」と題する記事を掲載した。右雑誌は、発行日の約二週間前に発売された。
 (2)  この記事の中には、次のような記述がある。
 〈1〉 そこまでいうのなら反論しよう。
 まず小誌9月28日号でゲシュタポ・レポートの存在を明らかにした草創期からの会員の再証言である。
 「内部の状況を逐一、大川氏に報告するレポートが“腹心”の役員から出されていました。陰口をたたいたりした人間はチェックされ、まず監視をつけられました。なかには、突然仕事をホサれたり、イヤガラセとしか思えない命令をされる人もいた。そんな人たちは、次第に追いつめられて、辞めていきました。私の仲間が、それを“ゲシュタポ・レポート”と呼んでいたのも事実です」
 元幹部も、これを裏付けるように証言する。
 「この報告はほぼ毎日出されていました。初期の責任者はK・T氏。彼は会員たちの間では絶対的な存在でしたよ。よく『自分がいうことは大川先生のいうことだ』といっていました。彼が逐一報告していたため、大川氏は事務所に来なくても、会員の動向を把握できたわけです」
 〈2〉 一方、50万円で絵を買ってもらった画家は、こう語る。
 「なんでウソだなんていうんだろう。きっと今、大川氏はカネに困っているので、絵を買っていたなんて書かれると困るんだろうね。周りに“ムダ遣いをしている”と思われたくなかったんじゃないかな」
 その画家は今年4月1日から6日まで、東京・銀座の某画廊で個展を開いたのだが、ある日、大川氏が5、6名の側近を連れてきたという。
 側近の一人から『大川隆法さんです』と紹介されたんだ。その時、『太陽の法』とかいう本もくれた。その後、大川氏らと、銀座へ繰り出したのも本当だよ」
   (六) 月刊現代の記事(被告島田、同佐々木を中心とする不法行為)
 (1)  被告島田は、幸福の科学及び大川主宰に関する記事を執筆し、右記事は、被告会社月刊現代編集部において「宗教学界の異才が初の本格追及こんなものがはびこるのは日本の不幸だ! バブル宗教『幸福の科学』を徹底批判する」と題され、月刊現代平成三年一〇月号に掲載された。右雑誌は、発刊日である同年九月六日の約一か月前に発売された。この記事の開始部の見出しは「単なる古今東西の宗教の寄せ集めで体系性を欠いた思想、『日本だけは大丈夫』の怪説--会費ダンピングで数だけ増やす“危険な宗教”の狙いと本当の正体を見誤るな」というものである。
 (2)  この記事の中には、次のような各記述がある。
 〈1〉 幸福の科学が何を目的に活動しているかがわからない。
 〈2〉 幸福の科学の教えがどういったものであるのかは、大川の本を読んでも理解できない。
 〈3〉 イベントや本に内容がない。
 〈4〉 教えの内容…、単なる古今東西の宗教の寄せ集めにしかすぎない。
 〈5〉 教え…、寄せ集めで体系的でない。
 〈6〉 幸福の科学は、まさに『バブル宗教』である。その目的は自分たちの組織を拡大することにしかない。
 〈7〉 幸福の科学の会員たちは日本だけの繁栄を望んでいる。
 〈8〉 日本人のダメさの象徴が幸福の科学なのかもしれないのだ。幸福の科学の正体は、日本人の正体でもある。
 〈9〉 大川隆法の『正体』は、せいぜい落ちこぼれのエリートでしかないのだ。
 〈10〉 平凡なエリートの落ちこぼれと宗教好きの父親という組合せが、幸福の科学の『正体』である。
 二 争点
  1 本案前の申立
   (一) 公序良俗違反
  (被告ら)
 原告らの請求は、大川主宰を特別な存在として位置付け、同人に対する不敬を一切許さないとする思想に貫かれたものであり、思想及び良心の自由、言論、出版及び表現の自由に違背する前近代的なもので、憲法秩序を真向から否定する性格のものであるから、請求内容自体公序に反し、権利保護の利益を欠くから、本訴提起は不適法である。
   (二) 訴権の濫用
  (被告ら)
 本訴提起は、平成三年九月二日以来、幸福の科学が組織をあげて行っている被告会社に対する業務妨害行為の一環として、全国の信者らを組織的に動員し、約二九〇〇名もの信者が全国七か所の裁判所に提起した訴えの一つであり、大川主宰、幸福の科学に対する批判的言動を封じようとした不法な動機、目的に基づく濫訴であるから、不適法である。
  2 本案についての争点
 (一)原告らに被侵害利益があるのかどうか、すなわち、(1) 原告らの主張する宗教上の人格権が不法行為法上保護された法的利益なのかどうか(原告らが間接被害者か否かを含む。)、(2) 不法行為の間接被害者からの損害賠償請求の可否、(二)被告らの行為が表現の自由権の行使として違法性を阻却するか否か、(三)なお、被告ら間の共謀の存否、被告らに本件各記事の執筆、掲載に当たり、原告らの宗教上の人格権ないし法的利益を侵害することのないようにすべき注意義務があるのか否か、前記各記事が捏造ないし誹謗中傷であるか否か及びそれらの広告の作成者は誰か等についても争いがある。
   (一)(1)  宗教上の人格権の存否
  (原告らの主張)
 (ア) 要約
 右一3(一)ないし(六)の各記事の内容は真実でなく、大川主宰と幸福の科学に対する、捏造を中心とする悪意に満ちた誹謗中傷であり、名誉毀損を構成する。
 原告らは、大川主宰と幸福の科学に深く帰依している幸福の科学の正会員であるから、被告らの右行為によって、心を深く傷つけられた。
 よって、原告らは、被告らに対し、損害賠償請求権を取得する。
 (イ) 詳論
  〈1〉 憲法一三条及び二〇条を解釈指針として、民法七一〇条に、身体、自由、名誉等の人格権の侵害が不法行為になることが明文で規定されていることを類推すれば、宗教上の人格権を考えることができ、この宗教上の人格権の内容は、一つは、「自らの信仰の対象であるご本尊を有形力の行使によって損壊されて心の静穏を乱されることのない利益、あるいは自らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たるご本尊を、明確に行き過ぎた中傷的言論で傷つけられない権利を含むところの法的利益」であり、他の一つは、「宗教上の領域における心の静穏の利益」である。それは、信仰という人間存在の基本に関するものであって、現時点で信仰を有しているか否かにかかわらず、全ての国民が有する人格権である。この権利は、法的保護に値する普遍性、客観性、具体性を有しており、不法行為法における法的利益としての内容、範囲、限界につき、極めて明確なものである。
  〈2〉 ここで帰依していると言えるためには、その宗教の信者であることが客観的に明らかであることが必要である。
 この点、原告らは全て幸福の科学と入会契約を締結した正会員である。正会員とは、自らの正しき心を日々探究する意欲を有し、原則として幸福の科学の書籍を一〇冊以上読み、入会願書の審査を経て幸福の科学に入会を認められた者であって、右入会願書の審査においては、入会申請者に「正しき心」すなわち神の心の探究の姿勢があるか否か、大川主宰に帰依し、大川主宰の説かれる法に帰依し、大川主宰の説かれる法を伝える組織である幸福の科学に帰依する(三宝帰依)姿勢があるか否かに特に重点をおいて審査がなされている。三宝帰依、正しき心の探究の姿勢が見受けられない入会申請者の入会願書は、三か月ないし六か月再申請を認めない、あるいは入会を拒否する処分がなされている。また正会員は、右入会願書の審査において、幸福の科学の根本教典である「正心法語」を与えられ、月額一〇〇〇円の会費を負担して、幸福の科学の会員向け機関紙である月刊「幸福の科学」誌を講読している。
 かかる正会員は、幸福の科学と大川主宰に対し帰依していることが客観的に明白である。
  〈3〉 また、明確に行き過ぎた中傷的言論で傷つけられたといえるためには、その言論の対象となった者に対する名誉毀損が成立するなど、明らかに言論の自由の範囲を逸脱していると言いうる程度のものであることが必要である。
 この点、本件は、捏造記事等の無責任な暴力的言論で誹謗中傷された場合で、大川主宰と幸福の科学に対する名誉毀損が成立することが明らかであるから、これに該当する。
  〈4〉 そこで、本件における宗教上の人格権を具体的に主張すれば、「自らが正会員として所属する幸福の科学及びその信仰の対象たる御本尊大川主宰を、捏造記事等の無責任な暴力的言論で誹謗、中傷されない権利ないしこれにより心の静穏を乱されない法的利益」ということになる。
  (被告らの主張 宗教上の人格権の不明確性)
 宗教上の人格権における心の静穏は、極めて個別的、主観的かつ抽象的なものであって、法律上の権利として客観的に把握しうるような明確性を有していない。すなわち、心の静穏とは、一般的にいって人の感情、感性、情緒、心理といった心の動きによって左右される非常に個別性、主観性の強いものであるが、原告らが主張する心の静穏は、さらに、個々人の持つ宗教的感情や宗教観ないしは教団及び教祖との関係等によっても大きく左右される極めて個別的、主観的な性格のものである。従って、そのようなものを中核とする宗教上の人格権が、権利としての内容、範囲、限界につき全く明確性を欠くことは明らかである。
 また、宗教上の人格権における権利主体の範囲も全く不明確である。権利主体の範囲についての原告らの主張は、幸福の科学の会員から正会員へと変遷しているうえ、右正会員たる地位は、幸福の科学と原告らとの私的契約によって生じる両者間でのみ意味のある地位であり、かつ帰依の有無は明らかに幸福の科学の教義に関する個々人の内心の信仰上の問題であって、第三者にとっては全く曖昧不明確な地位であるから、宗教上の人格権の権利主体の範囲に明確性を与えるものとは到底いえない。
 従って、原告ら主張の宗教上の人格権は、法的保護の対象とされる利益に該当せず、これをもって被告らの出版の自由を制約することはできない。
 (2)  間接被害者からの損害賠償請求の可否
  (原告らの主張)
 原告らは、被告らの捏造記事等の暴力的言論により、その宗教上の人格権を直接侵害されたものであるから、不法行為の直接被害者として、不法行為と相当因果関係の範囲内の損害の賠償請求権を取得する。
  (被告らの主張)
 本件各出版行為が原告主張のような捏造記事で幸福の科学及び大川主宰の名誉を棄損するものであるならば、幸福の科学または大川主宰が自ら訴えを提起することにより救済を求めることが可能である。これにより、請求権者の範囲を拡散させることなく、より直接的な被害者からの救済申出により、捏造記事または名誉毀損記事による損害の填補が可能であるから、間接被害者である原告らが損害賠償請求権を取得する余地はない。
   (二) 違法性阻却事由
 表現の自由は、民主政治の根幹をなし日本国憲法の核心である国民主権と直結するものであるから憲法で保障される自由や権利のうちでも優越的地位を与えられており、仮に、出版の自由を制約する場合には、これと対比して優るとも劣らない利益を有し、かつ、出版の自由が萎縮しないように厳格な基準に合致したものでなければならない。この論理は、私人間において出版の自由と他の権利が衝突する際に、民法九〇条等の一般条項を媒介にして憲法の人権規定を間接適用する場合においても、出版の自由を制約するか否かを判断するときの基準となるものである。
 新新宗教ブームと言われる今日において、新興宗教は、〈1〉その教義あるいは教祖の説教、発言、集会、組織的な積極的入会勧誘等により、心の平安、現世または来世における救済を希求する多数の市民を引きつけ、これを信者、信徒にしていくのが通例であるように、多数の市民の魂の平安と救済に関与していること、〈2〉組織的活動のなかで信者から多額の金銭が集められる場合もあること、〈3〉政治的影響力を行使しようとすることもしばしばであること、〈4〉布教活動の過程でしばしば法律や社会規範と衝突し、問題を起こす場合があることに鑑みれば、現代社会の一大重要問題の一つである。また、かかる新興宗教においては、教祖がカリスマ性を有し、強烈な個性と何らかの原体験に基づく説教や教義によって多数の信者を引きつけている場合が多い。従って、新興宗教の教団自体のあり方、活動のみならず、教祖の発言や教え、その元となる教祖の人格、生い立ちや経歴、精神状態、健康等も当然に社会公共の関心事となる。幸福の科学はかかる新興宗教の主要な一つであり、大川主宰はその教祖であるから、両者に関する記事である本件各出版行為が不法行為を構成するか否かを判断するにあたっては、その衝突する権利の成立の有無を、明確性その他の要件から慎重に行い、仮に権利性が認められた場合でも、両者の優劣を具体的に比較検討しなければならない。
第三 争点に対する判断
 一 本案前の申立について
  1 原告らの本件請求は、大川主宰に対する不敬行為一切を無限定に捉えて糾弾しているものではなく、被告らによる特定の記事の執筆掲載行為が大川主宰、幸福の科学を誹謗、中傷し、これによりその信者である原告らの宗教上の人格権自体ないし法的利益を侵害したとし、不法行為による損害賠償請求権として、その行為から生じた精神的損害の賠償を請求しているに過ぎないものであるから、原告らの請求内容が公序に反し、権利保護の利益がないとはいえず、本訴提起が不適法となるものではない。
  2 また、本訴は、原告らが、原告らを含む全国の信者らとともに、本件を含む多数の訴訟を組織的に提起したものの一つとまでは認められる(弁論の全趣旨)にしても、本訴が、被告会社の業務を妨害する動機、目的で提起されたとまで認めるに足りる証拠はなく、したがって、本件が違法な動機、目的に基づく濫訴ということはできない。
 二 争点(一)(原告らに、法的に保護されるべき被侵害利益を認めることができるか否か)について、以下判断する。
  1 およそ人は、それぞれ基本的価値観を有し、その中核を形成する内心の判断ないし確信が人格の根底をなすものとして、その自由な発展は人にとって最も重要かつ基本的な権利であると解される。特に、何人も、神仏等の絶対者あるいはその教義に帰依するなど自己の信ずるところに従い、平穏な信仰生活を営む自由を有し、かかる信仰生活は、宗教団体または宗教行事への参加あるいはその教義に帰依するなど他者との係わりのもとでなされる表現行為の場面では社会生活上の人格的利益として、他人との係わりを求めない専ら個人の内面の精神活動を中心とする場面では私生活上の人格的利益として、いずれも第三者によるその具体的な侵害があり、侵害の態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、場合によっては保護に値する法的利益として不法行為法上の被侵害利益となりうるものと認めることができ、このように解することが、憲法の定める信教の自由、幸福追求の権利、更にはその基本原理である個人の尊厳の理念にそうものと解される。
  2 そして、法的利益の侵害による不法行為の成否は、加害行為の態様と被侵害利益の種類の相関関係により論ずる必要があるところ、人が宗教上の精神活動あるいは表現行為等の宗教的行為により平穏な信仰生活を送っているのに対し、他者が、これを尊重することなく、これら宗教的行為を禁止し、あるいは、これを強制したり、何らかの制限、圧迫を加える場合のほか、厳密な意味での強制的要素を含まないまでも、私的な信仰生活に関してその人の欲しない態様で干渉を加えたりするなど、社会的許容限度を逸脱した手段、態様により、その人の具体的な信仰生活の平穏が客観的現実的に侵害されたと評価される場合にのみ法的利益の侵害があり不法行為が成立するものと解される。
 したがって、個々人の具体的な宗教上の精神活動、表現行為等を離れて、単に、捏造記事等の執筆、掲載という方法で信仰の対象者あるいは教義を非難し、教団の運営等布教活動の在り方、教団内部の内紛などを取り上げて教団を非難しあるいは誹謗、中傷することがあり、そのために、当該宗教を信仰する信者・教団員らがその精神作用ないし精神作用のもとになるものすなわち原告らのいう「心」に影響を受けるとしても、これは原則として単なる不快あるいは怒りといった信者らの宗教上の感情の侵害の問題にすぎないものであり、直ちに個々人の具体的な宗教上の精神活動その他の宗教的行為が侵害され、あるいは感情以外の内面の信仰生活の平穏が侵害されるものとまではいえない。そして、通常人なら誰でも持つ名誉感情と異なり、人が自己の信仰の対象あるいは帰依する宗教団体が誹謗中傷されたような場合にどのような宗教的感情を抱くかは、宗教観、当該宗教の種類、教義内容、信仰の程度、教団内部の地位などのそれぞれによって大きく異なり、その内容も不明確であるから、このような宗教的感情自体は個別的、主観的なものであって普遍性がなく、客観的に把握できるものではないといわざるを得ないから、これを直ちに権利ないし法的利益であると認めることはできない。
  3 これを本件についてみるに、争いのない事実等によれば、被告らの本件各記事の執筆掲載行為は、その記事の内容からみて、大川主宰または幸福の科学に向けられ、あくまでも教祖で信仰の対象者である大川主宰個人の名誉等の人格的利益を侵害し、また、その教団である幸福の科学の名誉等を侵害し、財産的損害以外の無形の損害等を与える可能性のある行為であると認められ、したがって、被告らの本件各記事の執筆掲載行為が大川主宰または幸福の科学に対する名誉毀損などの不法行為を構成するものとすれば、これらの者が被告に対して損害賠償を請求できるのである。
 原告らは、宗教上の人格権として、宗教上の領域における心の静穏の利益あるいは自らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たる御本尊を、明確に行き過ぎた中傷的言論で傷つけられない権利を含むところの法的利益があるとし、具体的には自らが正会員として所属する幸福の科学及びその信仰の対象たる御本尊大川主宰を捏造記事等の無責任な暴力的言論で誹謗中傷されない権利ないしこれにより心の静穏を乱されないところの法的利益があるところ、被告らの本件各記事の執筆掲載行為により、右法的利益が侵害されたと主張する。
 しかしながら、宗教上の人格権として原告らの主張する法的利益なるものは、前記2によれば、ひっきょう大川主宰を預言者、地上に降りた仏陀であると崇める信者あるいはその教団である幸福の科学の正会員である原告らが、原告らの教祖、信仰の対象者または教団に対する捏造記事等の執筆、掲載による誹謗、中傷により宗教上の感情を害されない利益をいうにすぎず、これらの宗教上の感情自体は法的利益として認められないところである。実質的にみても、原告らが被告らの大川主宰または幸福の科学に対する捏造記事等の執筆、掲載による誹謗、中傷により宗教上の感情を侵害され精神的苦痛を受けたとしても、大川主宰または幸福の科学が右行為による直接的な被害者であって、原則として、これらの者が損害を填補されれば、原告らの精神的苦痛も慰藉される関係にあるというべきであるから、原告らの前記宗教上の感情が害されたことにつき法的救済が図られなければならないものではない。
 三 以上のとおりで、原告らの主張する宗教上の人格権ないし法的利益なるものは認められないから、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がない。
 (裁判長裁判官 武田多喜子 裁判官 矢田廣高 裁判官 池下朗)